グノーシス用語辞典(か行)

グノーシス用語辞典

カオス/混沌 [ギ]kaos [英]chaos
 しばしば「混沌」と訳されるが、原義は「原初にできた裂け目」。ギリシア神話を詳解しているヘシオドスの『神統記』によると、世界の淵源はカオスであり、そのカオスが生じた後にガイア(大地)やタルタロス(奈落)などが生じたとされる。しかしながら、ここで言われているカオスは現在理解されているような未分化で実体的な混沌というものではなく、原義の通り大口を開けたかの如くの「裂け目」であり、無実体の「空隙」のようなものであるということに留意する必要がある。グノーシス主義神話におけるカオスは、前者の未分化で無秩序な物質の領域をあらわすとともに光明の領域と対置されるのが常であるが、各神話における役割は統一的であるとはいえず、例えば『ヨハネのアポクリュフォン』ではその起源は説明されない。

カーテン/境界/垂れ幕/ホロス
 超越的領域である光の世界とその下方にある領域を隔てる境界の比喩的表現。ヒッポリュトス『全異端反駁』の報告によるバシレイデス派グノーシス主義の教説によれば、超越的世界に帰属する「第二の子性」が、その重さゆえに独力では帰れないため、精霊の手を借りて「存在しない神」の元へと還ることになるが、精霊そのものは超越的世界に帰属するものではないため、「蒼穹」となって、超越的世界とこの世の「隔てのカーテン」としての境界となる。『この世の起源について』では、ソフィアが「垂れ幕」と同定され、その陰からカオスが派生する。『アルコーンの本質』でも「カーテン」の陰から物質が派生する。『フィリポによる福音書』では、寝室の垂れ幕とエルサレム神殿の至聖所の垂れ幕が、プレーローマと被造世界の間に引かれた境界の比喩である。
→デュナミス/ホロス

完全なる種族/完全なる者たち
 グノーシス主義者の自己呼称のひとつ。「聖霊の選ばれたる種族」「真実なる種族」「人の子の種子」「揺らぐことのない種族」「王なき種族」といった呼ばれ方も同義。

教示者
 アルコンテスによって創造された心魂的人間としてのアダムとエバの前に現れ、真の認識とはなにかを示す啓示者。『アルコーンの本質』では、蛇にのり移った霊的な女がそれにあたり、善悪の木から食べることによって神々のようになれるとエバに教示している。『この世の起源について』においては、ソフィア・ゾーエーが、アダムに送った教示者としての「生命のエバ」あるいは「真実のエバ」を指し、楽園で知識の木に変身する。同書では、創世記三章の蛇が、「動物」として言及され、生命のエバの顕現形態、あるいはその息子として教示者の役割を果たす。

グノーシス/知識/認識[ギ]gnosis[英]knowledge
 ギリシャ語で「認識」の意。おのれの内にある至高神に由来する霊的な本質(本来的自己)を認識するかどうかで、個々人の救済が果たされるか否かがかかっている、とするグノーシス主義の根幹をなすキータームであり、グノーシス主義がまさに「グノーシス主義」と呼ばれる所以である。教示者が心魂的な人間に霊的な本質を告げ知らせるという形で、その認識をうながすパターンが多い。エイレナイオス『異端反駁』の報告によるヴァレンティノス派グノーシス主義においては、過失を犯したソフィアが「存在において」形作られることが「認識に基づいて」形作られることに対照されている。同書では、後者が終末論的完成の意味で語られる。『この世の起源について』においては、「自分の認識」が「自分の本性」を明らかにする。特に『フィリポによる福音書』と『真理の福音』、および『アダムの黙示録』がかなり高頻度の割合で「認識」について言及する。このグノーシスの意味は、認識欲に駆られ、その分を超えた欲望を満たそうとすることとは次元を異にし、むしろ、それに対しては戒めの意味をも持たせていることに注意。ソフィアの至高神に対する認識欲に駆られた結果である過失は、まさにその認識についての注意点としても語られているといえる。また、ヒッポリュトス『全異端反駁』による報告の、バシレイデス派グノーシス主義の教説においては、その終末において、「存在しない神=至高神」の超越的世界から「蒼穹」によって分け隔てられている「この世」に、「存在しない神」が「大いなる無知(=無意識:agnoia)」を投げかけることで、「この世」にある超越的世界に帰属しないすべてのものが、分を超えた認識欲に二度と苦しむことがないようにするという点に、「認識」の両価性が表現されているといえる。

経綸(オイコノミア)
 ギリシア語のオイコノミアは、もともと「家」を意味するオイコスと「秩序・法律」を意味するノモスから成り立ち、字義通りに訳せば「家庭の秩序・規則を保つこと」となるが、一般的には「計画」や「行政」などという意味で使われる(因みにこのオイコノミアを英語化したものがエコノミーである)。キリスト教の正統主義教会においては、早くから世界史を神が人類の救済のために働く場所と見做す歴史神学(救済史の神学)の枠内で、「神の摂理、計画、予定」という神の働きに関して指す述語として用いられた。ナグ・ハマディ文書においては至高神と歴史の理解は、当然グノーシス主義的な解釈へと変更されているが、語義的には基本的に同じように用いられる。それは主に「空間的・場所的」という意味で、さまざまな「領域」をさしている。

欠乏
 ソフィアの過失の結果などから、プレーローマ内に生じる事態をさす。この欠乏が原因となって「つくり物」あるいは牢獄としての下方の世界と肉体が派生してゆく。従って、このプレーローマが欠乏を満たすことがグノーシス主義における万物の救済となり、個々人の救済もそのとき初めて最終的に完成される。

権威
 ギリシャ語「エクスーシアイ」の訳。『アルコーンの本質』のように、例外的にプレーローマの権威という積極的な意味で用いられることもあるが、多くの場合は「アルコンテス」あるいは「諸力」とほとんど同義語。『この世の起源について』では、カオスを支配する六人(ヤルダバオートを除く)を指し、ヤルダバオートの部下ではあるが、その愚かさをあざ笑い、心魂的人間を創造する。