グノーシス用語辞典(ら行)

グノーシス用語辞典

楽園/パラダイス
 旧約聖書『創世記』のエデンの園は「東の方」に設けられたとされ、読者には平面での連想を誘う。しかし、新約時代になると、それとは対照的に垂直軸に沿って楽園を「第三の天」に位置づける見方があったことは、すでに『コリント人への第二の手紙』におけるパウロの証言から知られる。グノーシス主義の神話でも原則として常に垂直軸での見方が前提されている。たとえば、『ヨハネのアポクリュフォン』が「楽園への追放」に続いて「楽園からの追放」について物語る場合も、上から下へと話の舞台が下降してゆくのである。『アルコーンの本質』でもアルコンテスが心魂的アダムを楽園へ拉致する。『この世の起源について』でも同様であるが、その場所は「正義」なるサバオートによって造られた月と太陽の軌道の外だという。エイレナイオス『異端反駁』の報告におけるヴァレンティノス派グノーシス主義の教説においては、デミウルゴスの下の第四の天のことで、アダムの住処。『三部の教え』では、ロゴスが過失の後に生み出したプレーローマの不完全な模像たちが置かれる場所。ヒッポリュトス『全異端反駁』の報告における『バルクの書』では、半処女エデンと「父」エローヒームの満悦から生まれた天使群の総称。『フィリポによる福音書』はこれらの事柄とは対照的に積極的な意味の楽園について頻繁に語るが、その空間的な位置づけは不明である。

霊/霊的
 宇宙万物が霊、心魂、物質(肉)の三つからなると考える、グノーシス主義の世界観における最高の原理および価値。ほとんど常に他の二つとの対象において言及される。エイレナイオス『異端反駁』の報告におけるヴァレンティノス派の教説によれば、物質的世界に分散している霊は滅びることはありえず、終末においてプレーローマに受け入れられる。

ロゴス/ことば/言葉
 「ロゴス」は古典ギリシャ語からヘレニズム時代のコイネー・ギリシャ語に至るまで、人間の言語活動と理性に関わる実に幅広い意味で用いられた。それは発言、発話、表現、噂、事柄、計算、知らせ、講話、物語、書物、根拠、意義、考察、教えといった日常用語のレベルから、「世界理性」や「指導的理性」などの哲学的述語(ストア派)のレベルにまでわたっている。ナグ・ハマディ文書を含むグノーシス主義文書は、前者の日常的な語義での用法も、たとえば『復活に関する教え(ロゴス)』のほか、随所で見せているが、神話論的に擬人化して用いる場合が多い。その場合の「ロゴス(あるいは「言葉」)」は、プレーローマ内部の高次のアイオーンであり、神的存在の一つである。エイレナイオス『異端反駁』の報告におけるヴァレンティノス派の教説では「ゾーエー(生命)」と、『ヨハネのアポクリュフォン』では「真理」とそれぞれ「対」を構成する。『エジプト人の福音書』では神的アウトゲネースの別名。また、ありとあらゆる箇所で、神的領域から出現する終末論的啓示者として描き出されている。『三部の教え』では、「父(至高神)」の「思考」として成立するアイオーンたち、あるいは「父」の「ことば」としての「御子」も指すが、圧倒的に多くの場合、プレーローマの最下位に位置する男性的アイオーン「ロゴス」を指す。この場合の「ロゴス」はソフィアと同じく過失を犯すもので、そこから下方の世界が生成されていくことになる。『フィリポによる福音書』でも超世界的でありながら、肉の領域に内在する神的存在を表しているが、どのような神話論的な枠組みを前提するものなのか不詳である。同書では、正典福音書でイエスの口に置かれている言葉を「ロゴスが言っている」/「ロゴスは言った」の表現で導入する点で、殉教者ユスティノスやエイレナイオスなどの護教家のロゴス・キリスト論の表現法と共通している。