グノーシス用語辞典(や行)

グノーシス用語辞典

ヤルダバオート/イアダルバオト/イアルダバオト
 可視的な中間界以下の領域を創造して、支配する造物主デミウルゴスに対する最も代表的な呼称。「サクラ(サクラス)」あるいは「サマエール」とも呼ばれる。プレーローマの中に生じた過失から生まれる、いわば流産の子で、自分を超える神はいないと豪語する無知蒙昧な神として描かれる。多くのグノーシス主義救済神話は、旧約聖書の神ヤーヴェのもつ「荒ぶる神」としての位格と、「不可知的存在」としての神の本質および「愛の神」「義の神」といった側面を引き裂き、前者をこのヤルダバオートに同定させ、後者を超越的善にして不可知なる神としての至高神に対応させる形をとり、特にそれは創世記の冒頭の創造物語と楽園物語に対して価値逆転的な解釈を展開する形で描かれる。
 ヤルダバオートという名称そのものが、ヤーヴェを呪われたる偽りの神として貶めるための造語である。『この世の起源について』はその語義を「若者よ、渡ってきなさい」の意であると説明する。この説明はおそらく、シリア語で「ヤルダー」が「若者」、「ベオート」が「渡れ(命令形)」の意であることに基づくものと思われる。しかし同時に、同じ『この世の起源について』では、ヤルダバオートを「奈落(カオス)」を母とする子として説明している。シリア語で「奈落」あるいは「混沌」は「バフート」であるから、ヤルダバオートは「奈落を母とする若者」の意になり、この合成語の意味を早くから「混沌の子」と説明してきた古典的な学説と一致することになる。さらに、アラム語で「――を生む者」の意の「ヤレド」に目的語として「サバオート」がついた形と見做して、「サバオートを生む者」の意とする説もあり、特定できない。