アンチ-クリマクス著/セーレン・キェルケゴール刊 『死に至る病』-キリスト教的な哲学的人間学と人間的可能性の現象学を指標とする論述-まとめノート①

 本ノートは、アンチ-クリマクス(セーレン・キェルケゴール)著『死に至る病』(1849)について、概説的にまとめたノートである。まとめるにあたっては、私淑する大谷長、桝田啓三郎、山下秀智の三氏の解釈を大いに参考にさせていただいていることを注記しておく。なお、デンマーク語に関しては、筆者の調べられる限りのことを記したが、残念ながら(誠に残念至極なのだが)筆者は現段階ではデンマーク語はできない(ドイツ語も全然まだまだであるが…)。本ノートで用いるデンマーク語の原文や単語は、上記三氏の記述や、辞書引き程度に参照しつつ、邦訳(大谷長監修『キェルケゴール著作全集』における山下秀智訳や桝田啓三郎訳)及びドイツ語による逐語訳を参照しながらのまとめになることを明記しておきたい。特に断りがない場合、デンマーク語→ドイツ語→日本語という順で記している。単なるまとめノートとしてご覧いただければ幸いである。))

1.表題

 『死に至る病¹-建徳と覚醒のための²キリスト教的心理学的論述³-』アンチ-クリマクス⁴著/セーレン・キェルケゴール

⑴「死に至る病
 これは、序言でも引用されている『ヨハネによる福音書』の11章 4節にある「この病は死に至らず」から取られている。この表題の表現において理解しなければならないことはキェルケゴール自身の言及に基づけば以下のとおりである。

1⃣隠蔽性:隠蔽性ということで言われているのは、まず、この病を持つ人、或いはこの病を持つ誰もがこれを隠したがるということ。しかし、それだけではない。もっと恐ろしいのは、この病はかくも深く隠されているので、人はそれと知ることなくこの病をもっているということ。

2⃣普遍性:他の全ての病は、たとえば気候や年齢など、あれこれのやり方で限定されているが、「死に至る病」に関しては全くそうではないということ。

3⃣継続性:あらゆる年齢を通じて、永遠まで継続すること。

4⃣病の位置:「死に至る病」は自己の内に存する。これは内面性の事柄の問題である。この内面性の事柄の問題において、三つの病の形態が見出される。1⃣即ち、自己を持っていることについての絶望的無知。2⃣自己を持っていることに気づきつつ、絶望して自己自身であろうとしないこと。3⃣絶望して自己自身であろうと欲すること。

 キェルケゴールは、修辞的なもの、覚醒的なもの、魅惑的なものを適切に使用するには、この書があまりに弁証法的であり厳密である点で、『死に至る病』という表題があまりに抒情詩的であることと齟齬をきたすのではないかと考えていた。彼にとって問題だったのは、上記における特定の主要な諸点の課題が、修辞的に構成するには余りに大きいということだった。そこで修辞的構成のために彼が取ったのは、「弁証法的なものの代数学」だった。これは『死に至る病』という書の体系的・階層的構造そのものを指して言っている表現で、端的には目次にも現れていることである。

⑵「建徳と覚醒のための」

 「建徳」にあたるのはデンマーク語の名詞Opbyggelseであり、これはドイツ語では名詞Erbauungにあたる。どちらも動詞opbygge及びerbauenから作られた語で、これら動詞は「建てる」「建設する」「教化する」「敬虔な気持ちにさせる」「宗教心を高揚させる」「気持ちを引き立てる」「元気づける」などの意味を持っている。これら動詞は聖書におけるギリシャ語の動詞oikodomeoに対応させられている。oikodomeoには家(oikos)という言葉がもとにあり、「家を建て上げる」というのが原意である。『コリント前書』8章1節には「愛は徳を建つこと」とあるが、原文はhe agape oikodomeiで、oikodomeiはoikodomeoの名詞形である。Opbyggelse及びErbauungは、このoikodomeiに対応させられながら考えられている。「建徳」という訳はこれに拠っている。キェルケゴールは『愛の業』でこの建徳について詳しく説明している。そこでは、先に引用した『コリント前書』8章1節に関連して、『ルカによる福音書』6章47-48節の「凡そ我にきたり我が言を聽きて行ふ者は、如何なる人に似たるかを示さん。即ち家を建つるに、地を深く掘り岩の上に基を据ゑたる人のごとし。洪水いでて流その家を衝けども動かすこと能はず、これ固く建てられたる故なり」を取り上げるなど、「建徳」の「土台を据える」という意義が強調され、単なる量的な知識の集積をこととするのではなく、ひたすら精神の深みから信仰を打ち建てることを意味するとされている。『死に至る病』という書が「Til Opbyggelse=Zur Erbauung=建徳のための」と言われるのは、以上の意味のためのということになるのである。
 ところで、キェルケゴールはよくこのOpbyggelseをopbyggelig(建徳的)という形容詞を使って「建徳的談話」という表現で用いる。しかし、『死に至る病』の表題に用いられているのは「Til Opbyggelse=Zur Erbauung=建徳のための」という記述である。これらの言い方にはあまり違いがないように見えるかもしれないが、実際には自らの資格を厳しく問うキェルケゴール自身によって、これらの言葉の使い方を極めて厳密に区別している側面があることを見て取らねばならない。実際のところ、この表題表記は草稿の段階から紆余曲折を経て最終的に決定されたものであるという事実がある。当初は単に「キリスト教的、建徳的論述」とだけ書かれていたのだ。また彼は「私は「建徳的」という詩人の述語を用いるばかりで、「建徳のための」ということさえ用いないのだ」と日記に記している。この事情は、キェルケゴールが自身について、自分には説教者としての権威はない、という自覚があることが絡んでいる。この自覚は単に否定的な意味においてではなく、いわゆる説教の在り方に対する積極的批判も含むが、キェルケゴール本人においては「説教」よりは「談話」という言い方が、「建徳のための談話」というより「建徳的談話」という言い方が取られた。それではどうして『死に至る病』においては「建徳のための」という言い方が取られたのか。これは『死に至る病』という著作が、従来とは違った以上に高いキリスト教的立場から書かれていること、そしてこの著作の著者がアンチ-クリマクスという仮名著者となっていることと大いに関係している。
 一方、「覚醒」にあたるのはデンマーク語の名詞Opvækkelseで、これはドイツ語では名詞Erweckungにあたる。どちらも元来「喚起すること」或いは「眠っている者を目覚めさせること」を意味する語であるが、本書では「死から甦らせる」という宗教的な意味が付与されて用いられる。また宗教的には「信仰心を奮い立たせる」という用いられ方もされる。本書のOpvækkelse=Erweckung=覚醒という語においてはこれらの意味を含めて用いられているように思われる。つまり、「Til Opvækkelse=Zur Erweckung=覚醒のための」というのは、『死に至る病』という書が「目を覚まさせて自分の悲惨な状態に気づかせ、神には絶望という死に至る病をも癒して人間を甦らせる力があることを悟らせて、信仰心を奮い立たせるための」書だという意味となる。眠っているものが眠りを自覚しないように、眠りと覚醒との間には質的な飛躍が存在し、死に至る病死に至る病の地平からは明らかにならないからこその本書だというわけである。この「覚醒のための」とすることも、「建徳のための」と同じく、本書が、従来とは違った以上に高いキリスト教的立場から書かれていること、そしてこの著作の著者がアンチ-クリマクスという仮名著者となっていることと大いに関係している。先に引用した日記の手前には、「覚醒のためのとするのは、実を言えば、私の分に過ぎたことだ……それは私自身よりも高くにあることなので、そのために私は仮名を用いる」とある。

⑶「キリスト教的心理学的論述」
 「心理学的」というのはデンマーク語の形容詞psychologiskであり、ドイツ語訳では形容詞psychologischが当てられていて、これ自体は今日に言うそれと同語なのだが、その内容は今日のそれとは全く無関係である。キェルケゴールは彼の著作全体においてこの語を多用しているが、これは決して「典型的な心理状態の描写を指標とすること」という意味で用いられているのではない。この「キリスト教的心理学的論述」という語において言われているのは、今日の言葉で言い直すとすれば、次に記すことからして、「キリスト教的な哲学的人間学と人間的可能性の現象学を指標とする論述」ということになる。

1⃣『死に至る病』の冒頭からして「人間とは何か?」という問いに対して「人間とは精神である。では精神とは何か?精神とは自己である。自己とは何か?……」とあの難解文へと続いていく記述によって本質規定を提示し、全ての本質規定がそうであるように、これによって一つの可能性を、即ちありうべき人間の理想像を表している。

2⃣それが上記において述べておいた「建徳と覚醒のための」ということの意味に連なっていることからして、単に現にあるがままの地上的価値尺度でしか生きていない自然的な人間=精神=自己は、本来的な人間=精神=自己でなく、本来的にはそうであるべき人間=精神=自己を見失い喪失した悲惨な状態[=絶望・死に至る病]にあるから、その悲惨な状態にあることに気づいて、本来ある人間=精神=自己となるべきであると要求し、そのような生成の努力が本来的に「実存する」ということであるとして、この「人間=精神=自己」という本質規定のうちに、人間の実現すべき課題を示している。

3⃣キェルケゴールは本名での諸著書(宗教的・信仰的・建徳的・右手(聖なる手)著作等と呼ばれる)においては直接的伝知という著作家=実存方式をとった。これは伝知内容が純粋な知識である場合に、その伝知内容を被伝知者に対してそのまま提示する著作家=実存方式である。仮名の諸著書(此の世的・非信仰的・審美的・左手著作等と呼ばれる)においては基本的に間接的伝知=ソクラテス的産婆術という著作家=実存方式をとった。彼がこの二つの著作家=実存方式を常に並行させながら右手・左手の諸著作を書くという方法を取り続けたことには、読者が左手著作を読むことで、それを機にキェルケゴール本人の名で刊行された右手著作へといざなうという意図が込められていた。『祖国』誌に連載した『ある女優の生涯における危機』(1848)をもってこのような著作活動に終止符を打とうとした。しかし彼はこれ以降、また別のかたちでの間接的伝知としての著作活動を続けることになる。『死に至る病』は、これ以降の著作であり、そのため他の仮名の諸著書とは事情が多少異なる(これは「アンチ-クリマクス」の項で詳述するが)とはいえ、同じく間接的伝知=ソクラテス的産婆術という著作家=実存方式をとっている。間接的伝知=ソクラテス的産婆術という著作家=実存方式というのは、伝知者が被伝知者に対して伝知内容を間接的に提示するのに努めることを指している。キェルケゴールは、伝知内容が実存的な理解を求めるもの(人間の生き方に関わる内容)などである場合、伝知者はその伝知内容を、被伝知者が実感をもって理解できるような仕方で伝知しなければならないとした上で、その一つの方法として、伝知内容の重要性を、読者が自分自身で気づくことができるような仕方で提示できるように努めた。これが「真実に欺き入れるということ」=「反省による伝知」とも言われる、彼のとった間接的伝知=ソクラテス的産婆術という著作家=実存方式である。『死に至る病』という著作において、「建徳と覚醒のためのキリスト教的心理学的論述」がなされる際の、仮名著者アンチ-クリマクスの名を持ってキェルケゴールが行使する間接的伝知=ソクラテス的産婆術という著作家=実存方式は、「病床の患者に臨んだ医者のような態度」として現れている。患者の病を直すためには、医者は治療にかかる前に病の位置を特定し、それがどのような病であるかを正確に診断しなければならないわけであるが、『死に至る病』のアンチ-クリマクスは、絶望=死に至る病が位置する人間の内面性の事柄それ自体に見られる症状のあらゆる現象形態、つまり「内面的に行為すること」それ自体に潜む病根の現象形態を厳密に分析することによって、実践の中の理論として診断書を記述し、その上でキリスト教的なものを反省すること、即ち「建徳と覚醒のための」治療薬が記された処方箋を記述している。

⑷「アンチ-クリマクス」
 アンチ-クリマクス(Anti-Climacus)という仮名著者の設定は、上記のことすべてと密接に絡んでいる。この関連には、基本的にアンチ-クリマクスに対してキェルケゴール本人及び彼の他の諸々の仮名著者、その中でも取り立てて『哲学的断屑或いは一断屑の哲学』(以下『断屑』)及び『哲学的断屑への結びの学問外れな後書』(以下『後書』)の仮名著者ヨハネス・クリマクスがどう位置づけられるかが重要な問題として含まれている。
 初め、キェルケゴールは『死に至る病』を自身の名で出すつもりでいたが、1849年6月頃にAnticlimacus(アンチクリマクス)という仮名に改め、これがさらに、Anti-Climacus(アンチ-クリマクス)と書き改められた。クリマクスの名は、未完に終わった『ヨハネス・クリマクス、或いは全てのものについて疑わるべし』(1842-3)という、一思想家の自叙伝的な試みとして構想された書物において用いられたのが初出である。これがのちに『断屑』及び『後書』の仮面著者として設定されることになった。ヨハネス・クリマクスという仮名がどこからとってこられたかには諸説ある。たとえば、1⃣前六世紀のビザンチンのある神学者がその主著『梯子(klimax)』によってヨアンネス・クリマコスと渾名されたことからとも、2⃣後七世紀のシナイの隠者にして修道士であった『天国への梯子(klimax tou paradeisou)』の著者ヨアンネス・クリマコスからとも言われる。こと後者に関してはキェルケゴールは大学最終試験準備の際にW.M.L de Wetteという人物の『キリスト教徳論及びその歴史教科書』をデンマーク語訳で読んでその引用に屡々出会ったという。どちらであるにせよ、いずれのギリシャ語Klimaxも『創世記』の「ヤコブの梯子」のイメージからきている。
 キェルケゴールは『後書』の締め括りである「最初にして最後の説明」や『我が著作家=活動に対する視点』『我が著作家=活動について』、日記や遺稿等において、彼の数多くの仮名使用について説明している。先に記しておいたように、キェルケゴールが仮名の諸著者の名を関する諸著書を刊行したとき、そこでは間接的伝知=ソクラテス的産婆術という著作家=実存方式がとられている。『後書』によれば、彼の多くの仮名使用は、彼の人物の中に偶然的な根拠をもっていたのではなく、「言葉のやり取りや心理学的に変化のある個人性の差異のために、善と悪、悔恨と有頂天、絶望と傲慢、苦悩と歓呼、等々における無遠慮さを詩的に要求したところの作品そのものの中に本質的な根拠をもっていた」のだとされる。この無遠慮さは、「いかなる実際の現実的人物も現実の道徳的限界の中では敢てなそうとか或いは敢て成そうと欲し得ないような心理学的首尾一貫さによってのみ、理念的に制限されている」とされる。キェルケゴール本人は「非人称的に或いは第三人称として人称的に、プロンプターであって、詩的に諸著者を作り出した」のであり、仮名著者の序言は彼らの創作であり、それだけでなく、彼らの名前もそうなのだとして、仮名の諸著書には彼自身の言葉は一つも存しないとした。仮名の諸著書並びに仮名の諸著者に対して、キェルケゴール本人は「第三者として以外にはいかなる意見も持たず、読者として以外に、それらの書の意義についていかなる知識も持たず、またそれらの書に対する最も遠い個人的な関係も持たない」とした。
 ただし、ヨハネス・クリマクスとアンチ-クリマクスという仮名著者を用いていることに関しては、事情が若干異なる。それは、多くの仮名著書においては仮名著者や仮名編集者の名を記すのに留まるのに対して、ヨハネス・クリマクスを仮名著者とした『断屑』及び『後書』、並びにアンチ-クリマクスを仮名著者とした『死に至る病』及び『キリスト教への修練』においては、キェルケゴールは自らの名を編集者或いは刊行者として記しているということである。また、最初にこれらヨハネス・クリマクス及びアンチ-クリマクスの仮名を用いることになった『断屑』と『死に至る病』は、どちらも当初は自身の名でもって刊行しようとしてとりやめたという経緯があり、この点においてほかの仮名の諸著書の諸著者がその諸著書の内容の着想と同時に案出されたということと異なっている。『後書』によれば、『断屑』のとびらに編集者として自分の名をヨハネス・クリマクスに並記したのは、「法律的かつ文学的に責任が自分にある」からであり、また「現実の中での対象の絶対的な意義のために、現実において示されるかもしれぬものを引き受けるべき、名前の挙げられた責任者がそこに居るという、義務を負った注意深さを表現することが必要だったからだ」という。この記述は『死に至る病』が刊行される前のものであり、まだアンチ-クリマクスという仮名が案出される前の記述であるが、アンチ-クリマクスにも一応は妥当するとみる必要がある。これはキェルケゴール自身が『死に至る病』刊行前後において、このヨハネス・クリマクスとアンチ-クリマクスの関係、及びこの二人の仮名著者と自分との関係について数多くの記述を残していることからそう言えると思われる。それらの記述から要点をかいつまんでまとめておく。

1⃣アンチ-クリマクスの仮名使用は、一応は他の仮名使用の諸著書と同じく間接的伝知=ソクラテス的産婆術という著作家=実存方式をとる。

2⃣アンチ-クリマクスの著作はヨハネス・クリマクスのそれと同じくキェルケゴール本人の名が編集者として添えられている。これが以上に記した意味で、他の仮名諸著者の諸著作と異なる。

3⃣『死に至る病』という、自分自身よりも高い立場にあるキリスト教的著作を世に出す資格・権利が自分にはないことを悩んだ果てに案出されたのがアンチ-クリマクスという仮名である。アンチ-クリマクスという仮名は、これまでにないほどの異常なまでに非凡で高度のキリスト者として、「建徳的著作家」つまりキェルケゴール本人よりも一層高い。それ以前の仮名使用は、編集者としてのキェルケゴールの名が添えられているヨハネス・クリマクスも含めて、彼本人よりも低い。ヨハネス・クリマクスのクリマクスには、完全なキリスト者を目指して上昇する方向が暗示されているが、アンチ-クリマクスは申し分のないキリスト者が暗示されることによって、上昇方向が停止を受けてその方向が逆になる。つまり、アンチ-クリマクスというキェルケゴール本人よりも一層高いものが呈示されることで、これがまさしくキェルケゴール本人を彼自身の限界内に引き止める。彼にしてみれば彼の生存は、アンチ-クリマクスの要求する高さに相応していない。他の仮名の諸著者は、キェルケゴール本人にしてみれば、彼らがキリスト者であることを否定しさえするほど低い立場に据え置いて案出されたのだが、アンチ-クリマクスはその反対であり、アンチ-クリマクスの立場からしてみればむしろキェルケゴール本人が、彼にとっての仮名の諸著者の関係のようになり、彼自身アンチ-クリマクスには身を屈し、断罪されてしまう立場になるという。

4⃣アンチ-クリマクスはヨハネス・アンチ-クリマクスと記されていたこともあり、またアンチクリマクスからアンチ-クリマクスという表記への変更がなされていることを見るに、これはヨハネス・クリマクスとアンチ-クリマクスが、どちらも間接的伝知によって、単純素朴に真のキリスト者であるという一点を目指すという共通点を持ちながらも、前者が自らを低く置いてキリスト者ではない立場に甘んじながら間接攻撃をなすのみで、その結果一切を諧謔の内に解消するだけであるのに対して、後者は自己と理念を混同しているほどのキリスト者ではあるが、その理念の叙述は全く正しく、明らかに直接攻撃をなす者だという点で、これら二人の仮名著者が相互対論的(弁証法的)に対立する者同士として位置づけられていることを表していると思われる。

2.冒頭に掲げられたドイツ語の引用詩

 Herr! gieb uns blöde Augen
 für Dinge, die nichts taugen,
 und Augen voller Klarheit
 in alle deine Wahrheit.

 主よ!我らに
 役に立たぬ物事に対してはかすめる眼を、
 そして汝の全ての真理には
 澄み冴えた眼を与えたまえ。(拙訳)

 これは、一般にカトリック神学者J.M.Sailerによる『エペソ書』5章15-21節についての説教として知られる詩である。「されば愼みてその歩むところに心せよ、智からぬ者の如くせず、智き者の如くし、また機會をうかがへ、そは時惡しければなり。この故に愚とならず、主の御意の如何を悟れ。酒に醉ふな、放蕩はその中にあり、むしろ御靈にて滿され、詩と讃美と靈の歌とをもて語り合ひ、また主に向ひて心より且うたひ、かつ讃美せよ。凡ての事に就きて常に我らの主イエス・キリストの名によりて父なる神に感謝し、キリストを畏みて互に服へ」(『エペソ書』5章15-21節)。詩は、このエペソ書の内容を踏まえた上で、この世的な真理と汝(主)の側にある真理との質的な断絶を対比している。この世的な真理は、どこまでも仮言的(カント)であり、条件付きである。いわゆる処世訓等はその典型である。そうしたこの世的な尺度に対してはどうかよく見えない眼をください、というのが「役に立たぬ物事に対してはかすめる眼を[与えたまえ]」というところのモットーである。そして、永遠の真理に対してのみ、常に澄冴えた眼を与えたまえと祈るわけである。無条件、無制約なものに接触するためには、上記のエペソ書の引用にもみられるが、この一途さが必要だというわけである。

3.序言

⑴序言の終わりにおいて「この作品全体において、絶望は薬としてではなく、病として理解されていることを、私はここではっきりと注意しておきたい。即ち、絶望はそれほどに弁証法的である」と述べられている。「弁証法的」というのはデンマーク語の形容詞dialektiskで、ドイツ語ではdialektischに当たる。キェルケゴールの場合は原意の「相互対論的」という意味に接近して用いられている。大谷長博士によれば、このような記述は「絶望の本来的「非-自由」性の弁証法的な様相を暗示している」という。この「非-自由」という表記は、大谷博士によるものであるが、彼がその際に表そうとしたのは、この「非-自由」のハイフンによって、キェルケゴール非自由とは、まさしく非自由であるが、自由がその非自由の雁字搦めの内で苦悶しており、そしてその非自由の最終局面において、自由が飛躍的に現成する、ということである。キェルケゴールのいう絶望は(これは本書やその他の著作における不安や憂鬱などといった概念もそうであるが)、この非自由の「非-自由」性の弁証法的な様相を持っているというのである。「絶望は薬としてではなく病として理解されている」という記述にもこの「非-自由」性の弁証法的な様相を見て取る必要がある。つまり、「表面的には病としての絶望理解」と「背後にある薬としての絶望理解」という、一見矛盾するようにみえる二項と、その二項の関係が弁証法的=相互対論的に考えられているということである。『死に至る病』を読む上では、常にこの絶望という非自由の「非-自由」性の弁証法的=相互対論的な構造に着目することが肝要となる。これを踏まえておくことで、一見「建徳と覚醒のための」と書かれていることと、「絶望は薬としてではなく病として理解されている」と書かれていることとに見られるような矛盾の本質を見て取ることができるようになる。

 

⑵上記の引用の直後には、続けて「同じように、まさにキリスト教的術語においても、死は最大の精神的悲惨のための表現であり、しかも治療はまさに死ぬこと、死に切ることなのである」とある。「死に切る」にあたるのはデンマーク語のafdøeであり、ドイツ語訳ではabsterbenである。キェルケゴールは日記において新約聖書この「死に切ること」を「精神になること」=「キリスト者になること」だと教えていると繰り返し述べており、この語をat leve som død=zu leben wie tot=死せるが如く生きると同義として扱っている。また、この「死に切ること」=「死せるが如く生きること」は「死の瞬間に見るようなふうに眺めること」とも「神を見るための条件」とも言われている。

 「死に切るというのは、宗教的には「地上的な快楽や満足から回心し、そういう楽しみを捨てて顧みない」という意味である。新約聖書において、この死に切ることは「罪に就きて死ぬ」或いは「キリストと共に死にて此の世の小學を離れ[て生きる]」などとといった表現で語られている。たとえば次の通りである「されば何をか言はん、恩惠の増さんために罪のうちに止るべきか、決して然らず、罪に就きて死にたる我らは爭で尚その中に生きんや」(『ロマ書』61-2節)。「彼(キリスト)は罪を犯さず、その口に虚僞なく、また罵られて罵らず、苦しめられて脅かさず、正しく審きたまふ者に己を委ね、木の上に懸りて、みづから我らの罪を己が身に負ひ給へり。これ我らが罪に就きて死に、義に就きて生きん爲なり。汝らは彼の傷によりて癒されたり」(『ペテロ前書』222-24節)。「汝等もしキリストと共に死にて此の世の小學を離れしならば、何ぞなほ世に生ける者のごとく人の誡命と教とに循ひて、『捫るな、味ふな、觸るな』と云ふ規の下に在るか。此等はみな用ふれば盡くる物なり。これらの誡命は、みづから定めたる禮拜と謙遜と身を惜まぬ事とによりて知慧あるごとく見ゆれど、實は肉慾の放縱を防ぐ力なし。汝等もしキリストと共に甦へらせられしならば、上にあるものを求めよ、キリスト彼處に在りて神の右に坐し給ふなり。汝ら上にあるものを念ひ、地に在るものを念ふな、汝らは死にたる者にして、其の生命はキリストとともに神の中に隱れ在ればなり。我らの生命なるキリストの現れ給ふとき、汝らも之とともに榮光のうちに現れん」(『コロサイ書』220-34節)。ここで最後に引用した『コロサイ書』の「キリストと共に死にて此の世の小學を離れ[て生きる]」という記述に目を留めてみよう。「此の世の小學」という文語訳は、原文ではstoicheia tū kosumūで、原意は「この世(世界)の諸元素」であり、エンペドクレスの四大元素(火・風・水・土)のことを指している。ヘレニズム期の諸宗教混淆の潮流の中ではこの四大元素が宇宙的秩序の維持の役割を果たしているものだとして礼拝対象となっており、特定の時節に特定の儀式を行う集団が現れていた。この様子は、『ソロモンの智慧』等に見て取ることができる。「まことに神を悟らざる全ての人は、生まれながらにしてむなしきものなり。眼に見ゆるよきものによりて、彼等は在まし給ふものを知る權をもたず、また、その業に目をとむる事によりて、それを造り給ひしものを認むる事を知らず、ただ、火、風、またはすみやかなる風、廻りゆく星、波立つ水、または天の諸星、これらのものを、世を治むる神々なりと思ひたりき。もし、これらのものの美しさを喜びてこれを神なりとしたりしならば、彼等はこれらのものよりも權ある主は、さらに勝れるものなるを知るべきなり。これらのものは美の最初の創造者によりて造られたればなり。されど若し、これらのものの權と勢ひに驚きたるによるものならば、彼等はこれらを造り給ひしものの、いかに力強きものなるかを知るべきなり。つくられしものの美しさの大いなるによりて、人は自づからにその最初の造主の姿を思ふなり。されど、これらの人々もせめらるる所少なし。おそらくは彼等も神を求め、神を見出さんと望みつつ、迷ひ出でたりしものなるべければなり。神の業の中に住みて彼等は心を盡くしてさぐり求む。されど彼等の見るものの、餘りに美しきゆゑに彼等はその見ることにとらはるるなり。されど、彼等とても言ひ逃がるべきやうなし、もし、かかる事どもを知る權をもち、事物の道をたづね知るを得たらんには、いかなれば彼等は、これらのものを造りし、權ある主をすみやかに見出さざりしや」(『ソロモンの智慧(智慧の書)』11-9節)。先の『コロサイ書』の引用の少し手前には、「然れば汝ら食物あるひは飮物につき、祭あるいは月朔あるいは安息日の事につきて、誰にも審かるな。此等はみな來らんとする者の影にして、其の本體はキリストに屬けり。殊更に謙遜をよそほひ御使を拜する者に、汝らの褒美を奪はるな。かかる者は見し所のものに基き、肉の念に隨ひて徒らに誇り、首に屬くことをせざるなり」(216-19節)とあるが、この「謙遜(自己卑下)をよそほひ御使(天使)をする」というのが、天使をも含めたこの世=宇宙的秩序を維持する支配勢力の下に跪くということであり、その象徴として一部の食物の忌避つまり断食を実践していたことになる。これが「この世(世界)の諸元素」に呪縛されることに相当する。文語訳でこれが「此の世の小學」となっているのは、この「この世(世界)の諸元素」に、中国の宋代における朱熹がその門人劉子澄らの協力を得て編纂した日常の礼儀作法や古聖人の格言・箴言・善行・人倫の実践的教訓などを古今の書から集めたもの」である『小学』に対応させたのだろうか。ともあれ「死に切る」ということが「キリストと共に死にて此の世の小學(世界の諸元素)を離れて生きる」と同義であるというのは、キリストの十字架を通して、神を離れた神のない罪の生活をまず殺し、その死を乗り越えて、神と共にある新しい生活に生きることを意味している。こうして、「精神になる」=「キリスト者になる」と同義である「死に切る」ということが、その少し前で絶望は薬としてではなく、病として理解されている[…]絶望はそれほどに弁証法的である」ということで言われている「「表面的には病としての絶望理解」と「背後にある薬としての絶望理解」という、一見矛盾するようにみえる二項と、その二項の関係が弁証法的=相互対論的に考えられている」ことや、冒頭に掲げられているドイツ語の詩にみられる弁証法的=相互対論的な記述と同じ弁証法=相互対論を見て取ることができるようになる。なお、この「死に切る」ということで生きられる場所は、あの世ではない。その場所はやはり元のこの世であることには変わりはない。また、だからといっていわゆる「世捨て人」のように隠遁生活を送ったり、修道院に入ったりすることには当たらない。『後書』のヨハネス・クリマクスは、この「死に切る」=「死せるが如く生きる」にあたることへの課題を、「信仰」=「実存的パトス」=「実存の改造」=「行為」であるとし、それを「絶対的テロスに対して絶対的に関係すると同時に相対的テロスに対して相対的に関係すること」としている。テロス(Telos)というギリシャ語が取られているのは、大谷博士によれば、「実践的理性が目的によって、つまり自分自身を越え出た一定の目的を持つことによって理論的理性から区別される」と述べたアリストテレスからの伝統にキェルケゴールが従おうとしたためだという。「相対的テロスに対して相対的に関係する」というのが上記の「此の世の小學」=「世界の諸元素」に従って生きること、「絶対的テロス対して絶対的に関係する」というのが「絶対的な倫理的善」=「永遠の浄福」の存することを個人が行為によって表現することでのみ証明しながら生きること(キェルケゴールの見解に従えば「絶対的な倫理的善」=「永遠の浄福」はそれによってのみ証明される)にあたる。「死に切る」=「死せるが如く生きる」以前の個人は、「死に切る」=「死せるが如く生きる」ことの課題とは全く反対に、「絶対的テロスに対して相対的に関係すると同時に相対的テロスに対して絶対的に関係する」ことに従事しており、「絶対的テロスに対して絶対的に関係すると同時に相対的テロスに対して相対的に関係する」ということから始めない。従って「絶対的テロスに対して絶対的に関係すると同時に相対的テロスに対して相対的に関係する」ということへの生成の努力が課題となるべきだということになるのだが、この「実存の改造」によっても、個人が実存の内に留まることには変わりはない。「実存の改造」においても、「絶対的テロスに対して絶対的に関係する」ことに努めるあまり「相対的テロスに対して相対的に関係する」ことを欠いてはならない。つまり、この世の内に踏み止まることを欠いてはならないのである。「絶対的テロスに対して絶対的に関係することに努めて相対的テロスに対して相対的に関係することを欠くこと」もまだ「死に切る」=「死せるが如く生きる」以前であり、「死に至る病」=「絶望」=「罪」なのである。「絶対的テロスに対して絶対的に関係すると同時に相対的テロスに対して相対的に関係する」というこの相互対論的(弁証法的)な関係の均衡に努めることを課題とする「実存的パトス」=「実存の改造」=「行為」は、内面性があまりに外面的な表現をとってはならないということや、世界と自分自身の間が質的に分かたれているということに関わらねばならず、この弁証法的=相互対論的な関係には少しの割引も不均衡も許されない。アンチ-クリマクス(キェルケゴール)が「死に切る」と言っていることのうちには、これだけの非常に困難な課題が呈示されているのだということを明記しておかなければならない。このことが、この序言に続く序論を読み解く上でも重要となる。