グノーシス用語辞典(あ行)

グノーシス用語辞典

アイオーン
 アイオーンはギリシャ語で、ある長さの「時」、「時代」、「世代」を意味する。プラトンは「永劫」の意味で用いていた。グノーシス神話では、至高神の思惟による自己分化によって流出した神的存在が対を成し、さらにまた分化して多数のアイオーンを生み、それらによって充満されたプレーローマ界を形成する。アイオーンはその神的存在が擬人化されたものである。アイオーンはその名が意味する通り、至高神以下、時空そのものであり、時空を超越していく永劫なるものである。この多数のアイオーンたちによって形成されるプレーローマ界は至高神の圏域であり、人間の真実でもある。それは「悪なる物質宇宙」の創造者である偽りの神デミウルゴスとその支配下にある番天使(惑星天使)あるいはアルコーンの諸力(悪霊群)と対峙する。ただしアイオーンとアルコーンを区別する境界線ははっきりと分かれているわけではない。ヤルダバオートやデミウルゴスなどのプロトアルコーン(第一のアルコーン)は低次のアイオーンとみなすこともでき、バシレイデス派におけるアブラクサスなどにいたってはその中間者であって、悔い改めてアイオーンとなる。

アウトゲネース
 ギリシャ語で「自ら生まれた者」の意。『ヨハネのアポクリュフォン』では「独り子」、「キリスト」と同義である。

アカモート/エカモート
「智慧」を意味するヘブライ語「ホクモート」に由来する借用語。 ヴァレンティノス派グノーシス主義の教説においては、過失を犯した「上のソフィア」から切り離されたエンテュメーシス(思考/考察)の別称の一つで、「上のソフィア」との関係では「下のソフィア」ということになる。しかし同じヴァレンティノス派グノーシス主義の書と考えられる『フィリポによる福音書』では、「エカモート」と表記され、「エクモート」と呼ばれる「小さなソフィア」、「死のソフィア」、「不妊のソフィア」と区別されているため、少なくとも三段階のソフィアが考えられており、その中間を占めると考えられる。『バルクの書』においては、半処女エデンがエローヒームとの間に生んだ十二の天使の一人である。

アダム/アダマス
 グノーシス主義一般において、アダムは以下の三種類の形態をとる。
(1)超越的な光の世界のアダム
(2)アルコーン(アルコンテス)によってつくられる心魂的アダム
(3)肉体を着せられて楽園へ追放され、そこからまたエヴァと共に追放されるアダム
これはグノーシス主義一般に広く認められる、人間を「霊」「心魂」「肉体」の三つからなるとする人間論に対応している。『この世の起源について』によれば、これを「第一のアダム」「第二のアダム」「第三のアダム」と呼んで整理している。ただし、ヒッポリュトスの報告による『バルクの書』のアダムは、少々例外的に、半処女エデンと父エローヒームの結合の象徴として、霊的であると同時に心魂的な存在である。

アブラクサス/アブラサクス
 異端反駁者からではあるが、バシレイデス派グノーシス主義について報告しているエイレナイオス『異端反駁』、およびヒッポリュトス『全異端反駁』のいずれにおいても、唯一固有名詞が与えられていることが確認できる、可視的世界=宇宙万物の創造者にして流出源的存在。前者においてはアブラクサス(Abraxas)、後者においてはアブラサクス(Abrasax)と表記されている。いずれの綴りでもギリシャ語アルファベットの数価(A=1、b=2、r=100、a=1、x=60、a=1、s=200)に換算しての合計が365になることから、365の天あるいは一年365日の支配者とされる。ヒッポリュトスの報告においては、自分を超える推し量ることすら不可能な超越的世界における「存在しない神」の存在に気づいて、自らの立場を悔悟すると言う点において、更に下位の、無知蒙昧なデミウルゴス(造物主)としての扱いをされている旧約聖書の神ヤハウェ=ヤルダバオートとは明確に区別されている。
アブラクサス(詳細説明)

アルキゲネドール
 ギリシャ語で「最初に生み出す者」の意。グノーシス主義の神話においては、多くの場合、中間者以下の領域を造りだす造物主ヤルダバオートをさしている。『この世の起源について』によれば、ビステイス・ソフィアの「左」(不義)の座へ据えられる。

アルコーン/支配者/第一のアルコーン
 ギリシャ語で「支配者」の意。グノーシス文書として最も原初的なものとされる『ヨハネのアポクリュフォン』によれば、物質世界(この世)を創造した造物主=デミウルゴス(ヤルダバオート)を「第一のアルコーン(プロトアルコーン)」として、その支配下に黄道十二宮(獣帯)に対応する十二体の名別されているアルコーン、その下に七体、あるいはその下にさらに多数の悪なる番天使=アルコーンが存在し、複数形ではアルコンテスと呼ばれ、この世の物質世界を統治していると考えられている。これは「権威」あるいは「諸力」と並列的、交替的に表記されることが多い。造物主は自称神を名乗るところの「偽りの神」とされており、それを筆頭とするアルコンテスは、人間の本来的自己にして至高神と同質であるとされる霊魂を、肉体という名の牢獄に閉じ込め、そういう状態にあることについて人間を無知・忘却状態に陥らせている、いわゆる悪霊群である。世界を支配するアルコンテスは、ヤルダバオートが過失を犯したソフィアから引き出した、至高神の範型に対応する形で、それを知らず(無理解)のままに似像として造りだしたものだとされる。

安息
 多くの場合、ソフィアの過失によって、超越的な光の世界(プレーローマ)の中に欠乏が生じると共に失われたものであり、グノーシス神話においては様々な段階でその回復が目指される。ソフィアの過失の後に、天上界プレーローマに暫定的に回復される「真の安息」、霊的、心魂的、泥的人間がそれぞれの場所で与えられる終末論的安息、つまり救済を意味する。ヴァレンティノス派グノーシス主義によれば中間の場所を彷徨うことの反意語であり、「新婦の部屋の子どもたちの唯一の名前」である。魂の故郷であるプレーローマが安息の場所である。

一部/肢体
 ギリシャ語で「meros」。一般的に「部分」の意にも用いられるが、特殊な用法としては、女性的啓示者「プローテンノイア」や「雷」の「一部」で、製造世界に取り残され、彼女が降って世界から救済する対象、「霊」とも呼ばれる。「肢体」(melos)も同義に用いられる場合がある。「潜在的可能性」の比喩として用いられる「種子」もこの意に近い。

叡智/ヌース
 中期および新プラトン主義の神学と自然学の伝統では、至上の「第一の神」は最高の「知性」(ヌース)として、「魂」(プシューケー)とからだ(ソーマ)を超越する。世界はこれらに二つと同時に知性も備えた生き物であり、人間の魂も「第一の神」から送り出されたものとしてやはり知性を備えている。グノーシス主義文書の内、多かれ少なかれプラトン主義の影響下に書かれたものにおいては、これら三者を1対2に分割し、「知性」、すなわち「叡智」をプレーローマ内の、あるいは、そこに由来する神的な男性原理、「魂」と「からだ」を造物主に由来する悪の原理とする場合が多い。もちろん「魂」の扱いに関しては、『魂の解明』のように、それを始終神的原理とするものもあって一律ではない。エイレナイオス『異端反駁』の報告によるプトレマイオスグノーシス主義において、ヌースは擬人化されたアイオーンであり、至高神プロパトール(ビュトス)が万物の初めを自身の中から流出しようとし、その伴侶シゲーとの間に生まれた子である。プレーローマ内でもヌースのみが至高神を捉えることができる存在だとされている。なお、護符に描かれるアブラクサスの足に相当する蛇はロゴス(理性)とヌース(叡智・精神)を象徴するものとされている。

エピノイア
 ギリシャ語で「配慮」あるいは「熟慮」の意。『ヨハネのアポクリュフォン』においては、造物主ヤルダバオート以下アルコーンの諸力の企図に逆らい、プレーローマから地上ののアダムに啓示(いわゆる「原啓示」)をもたらす女性的啓示者である。ただし、『三体のプローテンノイア』では、一方でプローテンノイアによって生かされている存在であるが、他方ではヤルダバオートの母であったりと、その立場は多様である。

エーレーレート/エレーレート
 アルモゼール、オロイアエール、ダヴェイテと共にプレーローマのアウトゲネース(キリスト)に属する四つの「大いなる光」の一つ(最下位)。『ヨハネのアポクリュフォン』では、プレーローマのことを知らず、直ちに悔い改めず、むしろしばらくの間ためらい、その後初めて悔い改めたものたちの魂がおかれた場所。『エジプト人の福音書』でもやはり同じほかの三つの名前との組み合わせで、プレーローマのセツの出現の文脈で言及されているが、その五千年後にはこの世を支配する十二人の天使を出現させる。『三体のプローテンノイア』でも同じ三つとの同じ順の組み合わせで現れる。『アルコーンの本質』ではノーレアに現れて、グノーシスを与える天使である(「四つの光り輝くもの」にも注意)。語源は不明瞭であるが、『アルコーンの本質』によれば、その語義を「即ち『理解』」と説明している。コプト語で残存する魔術文書にも現れるから、ヘレニズム末期の地中海世界東方ではかなり広く知れ渡っていた言葉であると思われる。

王なき種族/王なき世代
 「完全なる種族」や「揺らぐことのない種族」などと並んでグノーシス主義者たちの自己呼称のひとつ。『アダムの黙示録』では、十三の王国(支配)が終末論的救済者について誤った見解を述べた後に登場する。『この世の起源について』では、「四番目の種族」、即ち思考の種族とも呼ばれる。『アルコーンの本質』、『イエスの知恵』も参照。グノーシス主義の元来の担い手は、強大なローマ帝国の支配に組み込まれて禁治産状態に陥った東方地中海世界の被支配民族の知識層であったとされており、「王なき種族」という自己呼称は彼らの願望表現であるといえる。

オグドアス/八つのもの
 ギリシャ語で「八番目のもの」あるいは「八つのもの」の意。エイレナイオス『異端反駁』の報告によるヴァレンティノス派グノーシス主義では、光の天上界プレーローマの最深部における、プロパトール(=ビュトス)/エンノイア、ヌース/アレーテンノイア、ロゴス/ゾーエー、アントローポス/エクレーシアの男女四対八個組みのアイオーンを指していう。さらにプレーローマの下限を印すホロス(境界)の下に、アカモート(エカモート)が所在する「第二のオグドアス」が生成される。このアカモートからヘプドマスのデミウルゴスが生まれることになる。ヒッポリュトス『全異端反駁』の報告におけるバシレイデスの教説においては、第二の子性が精霊の助けを借りて上昇した際に、超越世界における「存在しない神」と同質でない精霊が取り残されて形成した、この世と超越世界の境界である蒼穹(すなわちこの世の限界線)にまで上り詰めた「大いなるアルコーン」とその子アブラクサスが形成し、その住処としている天上界のことである。それは旧約の神ヤハウェが住処としているヘプドマスより上位に位置している。『アルコーンの本質』においては光の超越世界プレーローマと同義。『この世の起源について』でも同じで、「垂れ幕」によって第七の天より下の世界から区切られている。『エジプト人の福音書』では、「父・母・子」が「三つのオグドアス」と呼ばれるなど繰り返し言及があるが、神話全体の組成における位置づけは不詳である。

男女(おめ)
 男女の性差を越えた存在の在り方で、グノーシス主義が希求する全体性の一表現。ただし、その神話論的な表現は多様で、たとえば『ヨハネのアポクリュフォン』では、至高神とバルベーローについてだけ両性具有が明言されるのに対し、『アルコーンの本質』では傲慢にして無知なる獣サマエールも男女(おめ)であり、『この世の起源について』ではヤルダバオート支配下の悪霊「十二人」「七人」「エロース」までもが両性具有の存在として登場する。『アダムの黙示録』では、両性具有ピエリデス(ムーサ)が、自己妊娠する。『魂の解明』においては、肉体に落下する前の個々の魂は男女(おめ)であるが、落下後の魂は処女となり、暴行・陵辱をうけることになる。『エジプト人の福音書』には「男女なる父」、『三体のプローテンノイア』においては、母であり父であるプローテンノイアについての言及がある。

 

アンチ-クリマクス著/セーレン・キェルケゴール刊 『死に至る病』-キリスト教的な哲学的人間学と人間的可能性の現象学を指標とする論述-まとめノート②

5.序論-「ラザロの復活」論-

 序論では二つの種類の死が問題となっている。

 

1⃣通常の肉体上の死

2⃣イエス・キリストによって約束された永遠の生命を信ずることができないという意味での絶望としての死

 

 序論は『ヨハネによる福音書』のいわゆる「ラザロの復活」で知られる11章を読んでおかないことには、これまでの記述の同義異語の受取り直し(反復)である側面があることには変わりはなくても、事細かには何を言っているのかがわかりにくくなっており、躓きかねない。そこで『ヨハネによる福音書』の11章について詳解しつつ、アンチ-クリマクス(キェルケゴール)が何をここで言おうとしているかを補足しておきたい。まずは、ぜひとも『ヨハネによる福音書』11章に当ってみていただきたい。

 

 ここに病める者あり、ラザロと云ふ、マリヤとその姉妹マルタとの村ベタニヤの人なり。此のマリヤは、主に香油をぬり、頭髮にて御足を拭ひし者にして、病めるラザロはその兄弟なり。姉妹ら人をイエスに遣して主、視よ、の愛し給ふもの病めりと言はしむ。之を聞きてイエス言ひ給ふこの病は死に至らず¹、神の榮光のため、神の子のこれに由りて榮光を受けんためなり」。イエスはマルタと、その姉妹と、ラザロとを愛し給へり。ラザロの病みたるを聞きて、その居給ひし處になほ二日とどまり、而してのち弟子たちに言ひ給ふ「われら復ユダヤに往くべし」。弟子たち言ふ「ラビ、この程もユダヤ人、汝を石にて撃たんとせしに、復かしこに往き給ふか」。イエス答へたまふ「一日に十二時あるならずや、人もし晝あるかば、此の世の光を見るゆゑに躓くことなし。夜あるかば、光その人になき故に躓くなり」。かく言ひて復その後いひ給ふ「われらの友ラザロ眠れり、されど我よび起さん爲に往くなり」。弟子たち言ふ「主よ、眠れるならば癒ゆべし」。イエスは彼が死にたることを言ひ給ひしなれど、弟子たちは寢ねて眠れるを言ひ給ふと思へるなり。ここにイエス明白に言ひ給ふ「ラザロは死にたり²。我かしこに居らざりし事を汝等のために喜ぶ、汝等をして信ぜしめんとてなり。されど我ら今その許に往くべし」。デドモと稱ふるトマス、他の弟子たちに言ふ「われらも往きて彼と共に死ぬべし」。

 さてイエス來り見給へば、ラザロの墓にあること既に四日なりき。ベタニヤはエルサレムに近くして、二十五丁ばかりの距離なるが、數多のユダヤ人、マルタとマリヤとをその兄弟の事につき慰めんとて來れり。マルタはイエス來給ふと聞きて出で迎へたれど、マリヤはなほ家に坐し居たり。マルタ、イエスに言ふ『主よ、もし此處に在ししならば、我が兄弟は死なざりしものを。されど今にても我は知る、何事を神に願ひ給ふとも、神は與へ給はん』。イエス言ひ給ふ『汝の兄弟は甦へるべし』。マルタ言ふ『をはりの日、復活のときに甦へるべきを知る』。イエス言ひ給ふ『我は復活なり、生命なり、我を信ずる者は死ぬとも生きん。凡そ生きて我を信ずる者は、永遠に死なざるべし。汝これを信ずるか』。[マルタ]彼に言ふ『主よ然り、我汝は世に來るべきキリスト、神の子なりと信ず』。

 かく言ひて後、ゆきて竊にその姉妹マリヤを呼びて『師きたりて汝を呼びたまふ』と言ふ。マリヤ之をきき、急ぎ起ちて御許に往けり。イエスは未だ村に入らず、尚マルタの迎へし處に居給ふ。マリヤと共に家に居りて慰め居たるユダヤ人、その急ぎ立ちて出でゆくを見、かれは歎かんとて墓に往くと思ひて後に隨へり。

 かくてマリヤ、イエスの居給ふ處にいたり、之を見てその足下に伏し『主よ、もし此處に在ししならば、我が兄弟は死なざりしものを』と言ふ。イエスかれが泣き居り、共に來りしユダヤ人も泣き居るを見て、心を傷め悲しみて言ひ給ふ、『かれを何處に置きしか』彼ら言ふ『主よ、來りて見給へ』。イエス涙をながし給ふ³。ここにユダヤ人ら言ふ『視よ、いかばかり彼を愛せしぞや』。その中の或者ども言ふ『盲人の目をあけし此の人にして、彼を死なざらしむること能はざりしか』。

 イエスまた心を傷めつつ墓にいたり給ふ。墓は洞にして石を置きて塞げり。イエス言ひ給ふ『石を除けよ』死にし人の姉妹マルタ言ふ『主よ、彼ははや臭し、四日を經たればなり』。イエス言ひ給ふ『われ汝に、もし信ぜば神の榮光を見んと言ひしにあらずや』。ここに人々石を除けたり。イエス目を擧げて言ひたまふ『父よ、我にきき給ひしを謝す。常にきき給ふを我は知る。然るに斯く言ふは、傍らに立つ群衆の爲にして、汝の我を遣し給ひしことを之に信ぜしめんとてなり』。

 斯く言ひてのち、聲高く『ラザロよ、出で來れ』と呼はり給へば、死にしもの布にて足と手とを卷かれたるまま出で來る、顏も手拭にて包まれたり。イエス『これを解きて往かしめよ』と言ひ給ふ。(『ヨハネによる福音書111-44節)

 

⑴「この病は死に至らず」

 通して読んでみれば一目瞭然の事なのだが、イエスの発言と行動は、徹頭徹尾それを見聞きする人々の応答・反応との間に齟齬をきたしており、全く理解されていない。まず、ベタニヤ村に住んでいるマリヤとマルタの姉妹が、人をイエスに遣わして彼女たちの兄弟ラザロの「病」を報告するところから始まるが、この報告は、このラザロの病が「肉体的な死の迫った肉体上の病」であるという意味では切迫感を伴っている。しかし、このラザロの罹った「肉体的な死の迫った肉体上の病」について、イエスは「この病は死に至らない(死で終わらない)」と言い、続けてそれは「神の榮光のため、神の子のそれを通して榮光を受けるためのものだ」と述べ、急いで駆け付けるということもなく、二日間場所を移動するということもなかった。イエスは最初からラザロの罹った病が「肉体的な死の迫っている病」であることを知っていながら「この病は死に至らない」と言ったのである。従ってこの言及そのものは、肉体上の病による死の切迫を問題としていたのではない。イエスを信じ、永遠の生命を信仰する者(キリスト者)からすれば、アンチ-クリマクス(彼がこれまでにないほどの非凡で高度なキリスト者であることを思い出してほしい)が言うように「[肉体上の]死は決して全てのものの最後ではなく、[肉体上の]死も又一切であるところのもの、即ち永遠の生命の内での小さな出来事に過ぎない」。むしろこの立場からすれば、「単に人間的に、そこに生あるのみならず、この生が最も完全な健康と力に充ちている時に希望があると言われる場合より、無限に多くの希望が[肉体上の]死の内に存する」のであって、「[単なる肉体上の]死など「死に至る病」ではない」のである。この意味でイエスは、ラザロの罹った「肉体的な死の迫った肉体上の病」を指して「この病は死に至らない」と言ったのであった。強調しておくが、この言葉には信仰の問題が強く込められており、アンチ-クリマクス(キェルケゴール)もこのことを汲んだうえでこの言葉を選択していると思われる。

 

⑵「ラザロは死にたり」

 イエスは二日経ってから行動を起こした。それはラザロが肉体上の死を遂げたことからのものであったが、イエスはラザロが肉体上の死を遂げるであろうことも、そうなったことも、誰から報告されるでもなく知っていた。二日間動かず、病床のラザロの下に駆け付けなかったのは、本章の後半において見せる、自分を遣わしたところの神の業の成就、つまり肉体上の死を遂げた者(ラザロ)を甦生させるという大いなる奇跡の成就のためである。イエスは自分の弟子たち或いは自分を信じると言っている周囲の者たちが、心の深いところで(つまり精神において)は信仰心に目覚めていない、つまり「精神になっていない」ことがよくわかっていたので、その者たちが信仰心に目覚めることができるように、つまり「精神になる」ことができるように、これをなそうとしたのである。これはすべて神の経綸である。イエスの行動は細部に至るまで全て、この神の経綸に基づいているのであって、無意味なところは一つもない。この神の経綸に基づいて、イエスはラザロのもとに駆け付けようとはせず、二日間動かなかったのであった。だが、これはイエス自身が当に分かっていたことではあるが、弟子たちには未だこの神の経綸がわからない。だからイエスが二日間動かなかった理由もわからなかったし、イエスが二日経ってから「私たちの友であるラザロが眠りについてしまった。だが、彼を眠りから覚ますために私は行く」と言ったことも、「[ラザロの罹った]この病は死に至らない」と言ったことの意味も、すべて誤解してしまう。神の経綸は人間の分際では測りがたいことであるので、弟子たちが誤解してしまうのも無理はないのではあるが。弟子たちは、イエスが当初ラザロについて彼の「病は死に至らない」と言っていることから、「眠りについてしまったラザロを眠りから覚ますために行く」と言っているイエスがラザロの肉体上の死を指して「眠りについた」と言っているところのそれを「睡眠」の意味と取り違えて捉えてしまっているだけでなく、ラザロの病がラザロを死に至らしめないのは、イエスがラザロの肉体上の病を治癒して、通常の意味で死なないようにするためだと誤解してしまっているのである。これが意味するのは、弟子たちが永遠の生命ということについて、心の奥深いところ(精神)において信じるということができておらず、通常の肉体上の死にのみ気にかけ固執しているということである。この弟子の誤解した言葉から、イエスは今度ははっきりと「ラザロは死んだ」と告げることになるのだが、これは「ラザロの肉体上の死」についての単なる事実確認やその事実の周知のためだけの発言ではない。もちろん通常の意味で「ラザロは死んだ」ということを弟子たちに告げる側面もあるのだが、イエスはこう言い直すことで、弟子たちのことを暗に述べているのである。イエスにおいては、ひいては永遠の生命を信じる立場(アンチ-クリマクスのようなキリスト者)においては、ラザロの罹った病はラザロを死に至らしめるものではないと正しく信じられており、ラザロはまさに死んではいない。だが、心の深いところ(精神)において永遠の生命を信じることができていない弟子たちにおいてはそうではない。だからイエスは「ラザロは死んだ」と言い直さなければならない。「ラザロは死んだ」と言わなければラザロの状態がわからない弟子たちは「精神になっていない」。つまり、この言葉は「絶望」であり「罪」であるところの「死に至る病」に弟子たちが罹っているということを暗示させているのである。心の深いところ(精神)において弟子たちが永遠の生命を、ひいてはイエスを信じることができていない以上、つまり死に至る病=絶望の地平しか持ち得ていない以上、彼らのその地平からでは、彼ら自身がまさしく死に至る病=絶望であるということを見出すことができない。そういう死に至る病=絶望である彼らにおいては、ラザロはまさしく通常の肉体的な意味で死んだというだけでなく、彼ら弟子たちが永遠の生命を信じることができていないという意味でも死んでしまっているのである。これは本章において、イエスの弟子たちだけでなく、マルタ・マリヤ姉妹、その他大勢にも徹頭徹尾当てはまっている。

 アンチ-クリマクスは「「この病は死に至らず」。しかし、ラザロは死んだ。弟子たちが、キリストがその後で、「我らの友ラザロ眠れり、されど我を呼び起こさん為に往くなり」と付け加えられたのを誤解した時、キリストは弟子たちにきっぱりと言った。「ラザロは死にたり」。かくしてラザロは死んだ、しかし、この病は死に至らなかった。ラザロは死んでしまった。しかしこの病は死に至らない」という記述で「この病は死に至らない-ラザロは死んだ」という対になる同じことを数度繰り返す形で序論の冒頭を記述している。これは以上のこと(⑴、⑵)を踏まえて読むと、アンチ-クリマクスは「この病は死に至らない」ということで信仰を、「ラザロは死んだ」ということで死に至る病=絶望=罪を表した上でこの二つの質的差異を強調し、「信仰か-罪か」という、人間がその人生においてどちらか一つの実存方式の選択を迫られる「これか-あれか」を強調して表しているということができる。これはシェイクスピアをよく参照していたキェルケゴールによる、アンチ-クリマクス版「To be, or not to be: that is the question:(「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」と訳されることで有名な『ハムレット』の一節。「在るべきか在らぬべきか」とも「成るべきか成らぬべきか」とも訳しうる)」なのである。

 

イエスかれが泣き居り、共に來りしユダヤ人も泣き居るを見て、心を傷め悲しみて言ひ給ふ。[…]イエス涙を流し給ふ」

 イエスはこの記述の箇所に至るまでにマルタ・マリヤ姉妹との会話を経ているが、先にも述べておいたように、イエスとイエス以外の人々の間で交わされる会話は、徹頭徹尾全くと言っていいほどかみ合っていない。先述したことをまとめて言い直せば、この噛み合わなさは、ただ一人覚醒者であるイエスと、その他大勢の絶望者との間に隔たりとして存在する質的差異のためである。絶望者は酩酊者である。イエスがそうさせているのではない。「世の光」であるイエスが絶望ないし酩酊である者たちに関わることで、彼らの絶望ないし酩酊が明るみに出されるのである。ラザロの肉体上の死という出来事について、ラザロの姉妹であるマルタもマリヤも、そしてラザロの死を嘆き悲しむその他大勢の人々も皆、有限性・必然性・時間的なもの・利己的なものに執着している。みな口々に、盲目の人の眼を治せるイエスがここにいたのなら、その神の業をもってすればラザロの肉体上の病を治すこともできただろうに、そうすればラザロは死なずに済んだだろうに、と言ってイエスに疑問を抱いているのだ。マルタなどは、口ではイエスの言っていることをできるだけ真似してみせたり、イエスのことを信じている、信じ切っているなどと言ったりして、ざっと見ただけではあたかも同じことを語っているかのように見えるのだが、実際のところは心の深いところでは有限性・必然性・時間的なもの・利己的なものに執着しているため、イエスないし永遠の生命について信じ切れていないことが明るみに出されている始末である。そこでイエスは、みなして泣いているのを見て「心を傷め悲しみて言い給ふ」とあるが、この「心を痛め悲しみて」というのは「心の深いところにおいて憤りを覚え、興奮し」とも「霊において息巻いて、掻き乱され」とも取れる文である。後者の「霊において息巻いて」というのは、治癒物語で治癒者がことを行う前に精神集中することをさして表されることがある。これらのどの意味であっても、イエスがこのような心境を抱いているのは、周囲にいる実のところはイエスのことを信じ切れていないすべての死に至る病に罹っている者=絶望者に対してのものである。ただ一人覚醒者であるイエスからしてみれば、皆未だ死に至る病=絶望であることを打ち明けているも同然なのである。イエスは初めから「神が、自分を遣わしたことを、彼らが信じるようになるために」行動している。とりわけ「霊において息巻いて」と取る場合、これは、ラザロの復活という奇蹟を、神の栄光を、彼の周りにいる全ての人々に見せることで、群衆の死に至る病=絶望を治癒することを目的としたイエスの、精神集中の様を表しているということができる。続けて涙を流すイエスが描写されるが、これは周りにいたユダヤ人たちが言い出したような、単にラザロに惚れ込んでいたがためにその肉体上の死を嘆いたという描写ではない。イエスにとってラザロは、初めから、そして彼の墓に近づいていく一歩一歩の瞬間瞬間、その最後に大声で「ラザロよ、出で来たれ!」と呼ぶその瞬間まで、死んでいるとは考えられていない。アンチ-クリマクスが言うように、その最後の呼び声の瞬間に至るまで「「この」病は死に至らないことは既に十分確かなのである」。永遠の生命を信じるということのただ一人の真の覚醒者であるイエスが涙するのは、未だ心の深いところから神を、イエスを、永遠の生命を信じ切ることが出来ていない、自分の周囲にいる死に至る病=絶望である群衆のためである。そのうえさらに、永遠の生命を信じきることができていないという意味で、そのような群衆においては死んでしまっているラザロのために悲しんで涙しているのである。群衆においてはラザロは生きていないからだ。

 アンチ-クリマクスのようなキリスト者からすれば、たとえ、イエスが、ラザロの肉体上の死の迫った病について「この病は死に至らない」と言わなかったとしても、神人であり、「復活なり、生命なり」であるイエス・キリストが、墓へ歩み寄るというだけで、また、そのような彼がそこに在すということだけで、本当に彼を信じ切っていることからして、ラザロが罹った「この病は死に至らない」ということを意味する。最後まで誤解してはいけないのだが、イエスが復活させるから、ラザロの病は死に至らないと言われているのではない。アンチ-クリマクスが語るように、「まさに彼キリストがそこに在すが故に、この病は死に至らないのである」。

 

⑷「自然的人間」について

 序論の後半では、デンマーク語の原語でdet naturlige Menneskeと記され、ドイツ語訳ではder natürliche Menschと訳される「自然的人間」について記述されている。これは『コリント前書』214節に「性來のままなる人は神の御靈のことを受けず、彼には愚なる者と見ゆればなり」とあるところの「性來のままなる人」にあたる。新約聖書キリスト者になるとは精神になることであると説き、先のノートで見たように、それは「死に切る」ことであると説くわけであるが、それは、いかなる人間も精神としては生まれないからそう説くのである。自然的人間は心(SjelSeele=魂)と身(LegemeLeib=肉)であるだけである。自然的人間は、「相対的テロスに対して絶対的に関係し、絶対的テロスに対して相対的に関係する」という実存方式をとっている。自然的人間にとって肉体上の死は、他のどのような人間的苦難や悲惨にも増して最大の不安要素である。これに対して、キリスト者になる=精神になる=死に切るということで言われているのは、実存の改造=信仰によってこの不安を都度克服し、自然的人間が自然的人間として生きている、その世間的・この世的な実存方式を抜け出て、更に上の段階である「相対的テロスに対して相対的に関係し、絶対的テロスに対して絶対的に関係する」実存方式をとることを意味する。このようなキリスト者からしてみれば、自然的人間が抱えている「苦悩、病気、悲惨、苦難、災い、苦痛、煩悶、悲哀、悲嘆など」は言うに及ばず、肉体上の死ですら不安の対象にならない。キリスト者にとっては、「非本来的な絶望」の範疇であっても、「本来的な絶望」の範疇ではない。上記の引用におけるイエスの弟子たち、或いはラザロの死を悲しむ者たちはみな、未だこの自然的人間であり、非本来的な絶望者である。

 なお、キェルケゴールは自然的人間の特徴をさして、「凡庸さ(Ubetydelighed)」の一言で言い表すことがあるが、その「凡庸さ」というのは、「人生を可能な限り取るに足らないものにすること」、つまり「可能な限り理念を欠き、無精神的か、精神を欠いて生きるかすること」によって、人生を容易にしようとすることである。自然的人間の凡庸さは、客観性や真理を多数に都合のよいもので安易に措定しようとすることに関心を持っているということに表れる。この自然的人間の「凡庸さ」は「キリスト者に成る」=「精神に成る」=「死に切る」ということと対照的であるので、よく押さえておきたいところである。

 

 

 

アンチ-クリマクス著/セーレン・キェルケゴール刊 『死に至る病』-キリスト教的な哲学的人間学と人間的可能性の現象学を指標とする論述-まとめノート①

 本ノートは、アンチ-クリマクス(セーレン・キェルケゴール)著『死に至る病』(1849)について、概説的にまとめたノートである。まとめるにあたっては、私淑する大谷長、桝田啓三郎、山下秀智の三氏の解釈を大いに参考にさせていただいていることを注記しておく。なお、デンマーク語に関しては、筆者の調べられる限りのことを記したが、残念ながら(誠に残念至極なのだが)筆者は現段階ではデンマーク語はできない(ドイツ語も全然まだまだであるが…)。本ノートで用いるデンマーク語の原文や単語は、上記三氏の記述や、辞書引き程度に参照しつつ、邦訳(大谷長監修『キェルケゴール著作全集』における山下秀智訳や桝田啓三郎訳)及びドイツ語による逐語訳を参照しながらのまとめになることを明記しておきたい。特に断りがない場合、デンマーク語→ドイツ語→日本語という順で記している。単なるまとめノートとしてご覧いただければ幸いである。))

1.表題

 『死に至る病¹-建徳と覚醒のための²キリスト教的心理学的論述³-』アンチ-クリマクス⁴著/セーレン・キェルケゴール

⑴「死に至る病
 これは、序言でも引用されている『ヨハネによる福音書』の11章 4節にある「この病は死に至らず」から取られている。この表題の表現において理解しなければならないことはキェルケゴール自身の言及に基づけば以下のとおりである。

1⃣隠蔽性:隠蔽性ということで言われているのは、まず、この病を持つ人、或いはこの病を持つ誰もがこれを隠したがるということ。しかし、それだけではない。もっと恐ろしいのは、この病はかくも深く隠されているので、人はそれと知ることなくこの病をもっているということ。

2⃣普遍性:他の全ての病は、たとえば気候や年齢など、あれこれのやり方で限定されているが、「死に至る病」に関しては全くそうではないということ。

3⃣継続性:あらゆる年齢を通じて、永遠まで継続すること。

4⃣病の位置:「死に至る病」は自己の内に存する。これは内面性の事柄の問題である。この内面性の事柄の問題において、三つの病の形態が見出される。1⃣即ち、自己を持っていることについての絶望的無知。2⃣自己を持っていることに気づきつつ、絶望して自己自身であろうとしないこと。3⃣絶望して自己自身であろうと欲すること。

 キェルケゴールは、修辞的なもの、覚醒的なもの、魅惑的なものを適切に使用するには、この書があまりに弁証法的であり厳密である点で、『死に至る病』という表題があまりに抒情詩的であることと齟齬をきたすのではないかと考えていた。彼にとって問題だったのは、上記における特定の主要な諸点の課題が、修辞的に構成するには余りに大きいということだった。そこで修辞的構成のために彼が取ったのは、「弁証法的なものの代数学」だった。これは『死に至る病』という書の体系的・階層的構造そのものを指して言っている表現で、端的には目次にも現れていることである。

⑵「建徳と覚醒のための」

 「建徳」にあたるのはデンマーク語の名詞Opbyggelseであり、これはドイツ語では名詞Erbauungにあたる。どちらも動詞opbygge及びerbauenから作られた語で、これら動詞は「建てる」「建設する」「教化する」「敬虔な気持ちにさせる」「宗教心を高揚させる」「気持ちを引き立てる」「元気づける」などの意味を持っている。これら動詞は聖書におけるギリシャ語の動詞oikodomeoに対応させられている。oikodomeoには家(oikos)という言葉がもとにあり、「家を建て上げる」というのが原意である。『コリント前書』8章1節には「愛は徳を建つこと」とあるが、原文はhe agape oikodomeiで、oikodomeiはoikodomeoの名詞形である。Opbyggelse及びErbauungは、このoikodomeiに対応させられながら考えられている。「建徳」という訳はこれに拠っている。キェルケゴールは『愛の業』でこの建徳について詳しく説明している。そこでは、先に引用した『コリント前書』8章1節に関連して、『ルカによる福音書』6章47-48節の「凡そ我にきたり我が言を聽きて行ふ者は、如何なる人に似たるかを示さん。即ち家を建つるに、地を深く掘り岩の上に基を据ゑたる人のごとし。洪水いでて流その家を衝けども動かすこと能はず、これ固く建てられたる故なり」を取り上げるなど、「建徳」の「土台を据える」という意義が強調され、単なる量的な知識の集積をこととするのではなく、ひたすら精神の深みから信仰を打ち建てることを意味するとされている。『死に至る病』という書が「Til Opbyggelse=Zur Erbauung=建徳のための」と言われるのは、以上の意味のためのということになるのである。
 ところで、キェルケゴールはよくこのOpbyggelseをopbyggelig(建徳的)という形容詞を使って「建徳的談話」という表現で用いる。しかし、『死に至る病』の表題に用いられているのは「Til Opbyggelse=Zur Erbauung=建徳のための」という記述である。これらの言い方にはあまり違いがないように見えるかもしれないが、実際には自らの資格を厳しく問うキェルケゴール自身によって、これらの言葉の使い方を極めて厳密に区別している側面があることを見て取らねばならない。実際のところ、この表題表記は草稿の段階から紆余曲折を経て最終的に決定されたものであるという事実がある。当初は単に「キリスト教的、建徳的論述」とだけ書かれていたのだ。また彼は「私は「建徳的」という詩人の述語を用いるばかりで、「建徳のための」ということさえ用いないのだ」と日記に記している。この事情は、キェルケゴールが自身について、自分には説教者としての権威はない、という自覚があることが絡んでいる。この自覚は単に否定的な意味においてではなく、いわゆる説教の在り方に対する積極的批判も含むが、キェルケゴール本人においては「説教」よりは「談話」という言い方が、「建徳のための談話」というより「建徳的談話」という言い方が取られた。それではどうして『死に至る病』においては「建徳のための」という言い方が取られたのか。これは『死に至る病』という著作が、従来とは違った以上に高いキリスト教的立場から書かれていること、そしてこの著作の著者がアンチ-クリマクスという仮名著者となっていることと大いに関係している。
 一方、「覚醒」にあたるのはデンマーク語の名詞Opvækkelseで、これはドイツ語では名詞Erweckungにあたる。どちらも元来「喚起すること」或いは「眠っている者を目覚めさせること」を意味する語であるが、本書では「死から甦らせる」という宗教的な意味が付与されて用いられる。また宗教的には「信仰心を奮い立たせる」という用いられ方もされる。本書のOpvækkelse=Erweckung=覚醒という語においてはこれらの意味を含めて用いられているように思われる。つまり、「Til Opvækkelse=Zur Erweckung=覚醒のための」というのは、『死に至る病』という書が「目を覚まさせて自分の悲惨な状態に気づかせ、神には絶望という死に至る病をも癒して人間を甦らせる力があることを悟らせて、信仰心を奮い立たせるための」書だという意味となる。眠っているものが眠りを自覚しないように、眠りと覚醒との間には質的な飛躍が存在し、死に至る病死に至る病の地平からは明らかにならないからこその本書だというわけである。この「覚醒のための」とすることも、「建徳のための」と同じく、本書が、従来とは違った以上に高いキリスト教的立場から書かれていること、そしてこの著作の著者がアンチ-クリマクスという仮名著者となっていることと大いに関係している。先に引用した日記の手前には、「覚醒のためのとするのは、実を言えば、私の分に過ぎたことだ……それは私自身よりも高くにあることなので、そのために私は仮名を用いる」とある。

⑶「キリスト教的心理学的論述」
 「心理学的」というのはデンマーク語の形容詞psychologiskであり、ドイツ語訳では形容詞psychologischが当てられていて、これ自体は今日に言うそれと同語なのだが、その内容は今日のそれとは全く無関係である。キェルケゴールは彼の著作全体においてこの語を多用しているが、これは決して「典型的な心理状態の描写を指標とすること」という意味で用いられているのではない。この「キリスト教的心理学的論述」という語において言われているのは、今日の言葉で言い直すとすれば、次に記すことからして、「キリスト教的な哲学的人間学と人間的可能性の現象学を指標とする論述」ということになる。

1⃣『死に至る病』の冒頭からして「人間とは何か?」という問いに対して「人間とは精神である。では精神とは何か?精神とは自己である。自己とは何か?……」とあの難解文へと続いていく記述によって本質規定を提示し、全ての本質規定がそうであるように、これによって一つの可能性を、即ちありうべき人間の理想像を表している。

2⃣それが上記において述べておいた「建徳と覚醒のための」ということの意味に連なっていることからして、単に現にあるがままの地上的価値尺度でしか生きていない自然的な人間=精神=自己は、本来的な人間=精神=自己でなく、本来的にはそうであるべき人間=精神=自己を見失い喪失した悲惨な状態[=絶望・死に至る病]にあるから、その悲惨な状態にあることに気づいて、本来ある人間=精神=自己となるべきであると要求し、そのような生成の努力が本来的に「実存する」ということであるとして、この「人間=精神=自己」という本質規定のうちに、人間の実現すべき課題を示している。

3⃣キェルケゴールは本名での諸著書(宗教的・信仰的・建徳的・右手(聖なる手)著作等と呼ばれる)においては直接的伝知という著作家=実存方式をとった。これは伝知内容が純粋な知識である場合に、その伝知内容を被伝知者に対してそのまま提示する著作家=実存方式である。仮名の諸著書(此の世的・非信仰的・審美的・左手著作等と呼ばれる)においては基本的に間接的伝知=ソクラテス的産婆術という著作家=実存方式をとった。彼がこの二つの著作家=実存方式を常に並行させながら右手・左手の諸著作を書くという方法を取り続けたことには、読者が左手著作を読むことで、それを機にキェルケゴール本人の名で刊行された右手著作へといざなうという意図が込められていた。『祖国』誌に連載した『ある女優の生涯における危機』(1848)をもってこのような著作活動に終止符を打とうとした。しかし彼はこれ以降、また別のかたちでの間接的伝知としての著作活動を続けることになる。『死に至る病』は、これ以降の著作であり、そのため他の仮名の諸著書とは事情が多少異なる(これは「アンチ-クリマクス」の項で詳述するが)とはいえ、同じく間接的伝知=ソクラテス的産婆術という著作家=実存方式をとっている。間接的伝知=ソクラテス的産婆術という著作家=実存方式というのは、伝知者が被伝知者に対して伝知内容を間接的に提示するのに努めることを指している。キェルケゴールは、伝知内容が実存的な理解を求めるもの(人間の生き方に関わる内容)などである場合、伝知者はその伝知内容を、被伝知者が実感をもって理解できるような仕方で伝知しなければならないとした上で、その一つの方法として、伝知内容の重要性を、読者が自分自身で気づくことができるような仕方で提示できるように努めた。これが「真実に欺き入れるということ」=「反省による伝知」とも言われる、彼のとった間接的伝知=ソクラテス的産婆術という著作家=実存方式である。『死に至る病』という著作において、「建徳と覚醒のためのキリスト教的心理学的論述」がなされる際の、仮名著者アンチ-クリマクスの名を持ってキェルケゴールが行使する間接的伝知=ソクラテス的産婆術という著作家=実存方式は、「病床の患者に臨んだ医者のような態度」として現れている。患者の病を直すためには、医者は治療にかかる前に病の位置を特定し、それがどのような病であるかを正確に診断しなければならないわけであるが、『死に至る病』のアンチ-クリマクスは、絶望=死に至る病が位置する人間の内面性の事柄それ自体に見られる症状のあらゆる現象形態、つまり「内面的に行為すること」それ自体に潜む病根の現象形態を厳密に分析することによって、実践の中の理論として診断書を記述し、その上でキリスト教的なものを反省すること、即ち「建徳と覚醒のための」治療薬が記された処方箋を記述している。

⑷「アンチ-クリマクス」
 アンチ-クリマクス(Anti-Climacus)という仮名著者の設定は、上記のことすべてと密接に絡んでいる。この関連には、基本的にアンチ-クリマクスに対してキェルケゴール本人及び彼の他の諸々の仮名著者、その中でも取り立てて『哲学的断屑或いは一断屑の哲学』(以下『断屑』)及び『哲学的断屑への結びの学問外れな後書』(以下『後書』)の仮名著者ヨハネス・クリマクスがどう位置づけられるかが重要な問題として含まれている。
 初め、キェルケゴールは『死に至る病』を自身の名で出すつもりでいたが、1849年6月頃にAnticlimacus(アンチクリマクス)という仮名に改め、これがさらに、Anti-Climacus(アンチ-クリマクス)と書き改められた。クリマクスの名は、未完に終わった『ヨハネス・クリマクス、或いは全てのものについて疑わるべし』(1842-3)という、一思想家の自叙伝的な試みとして構想された書物において用いられたのが初出である。これがのちに『断屑』及び『後書』の仮面著者として設定されることになった。ヨハネス・クリマクスという仮名がどこからとってこられたかには諸説ある。たとえば、1⃣前六世紀のビザンチンのある神学者がその主著『梯子(klimax)』によってヨアンネス・クリマコスと渾名されたことからとも、2⃣後七世紀のシナイの隠者にして修道士であった『天国への梯子(klimax tou paradeisou)』の著者ヨアンネス・クリマコスからとも言われる。こと後者に関してはキェルケゴールは大学最終試験準備の際にW.M.L de Wetteという人物の『キリスト教徳論及びその歴史教科書』をデンマーク語訳で読んでその引用に屡々出会ったという。どちらであるにせよ、いずれのギリシャ語Klimaxも『創世記』の「ヤコブの梯子」のイメージからきている。
 キェルケゴールは『後書』の締め括りである「最初にして最後の説明」や『我が著作家=活動に対する視点』『我が著作家=活動について』、日記や遺稿等において、彼の数多くの仮名使用について説明している。先に記しておいたように、キェルケゴールが仮名の諸著者の名を関する諸著書を刊行したとき、そこでは間接的伝知=ソクラテス的産婆術という著作家=実存方式がとられている。『後書』によれば、彼の多くの仮名使用は、彼の人物の中に偶然的な根拠をもっていたのではなく、「言葉のやり取りや心理学的に変化のある個人性の差異のために、善と悪、悔恨と有頂天、絶望と傲慢、苦悩と歓呼、等々における無遠慮さを詩的に要求したところの作品そのものの中に本質的な根拠をもっていた」のだとされる。この無遠慮さは、「いかなる実際の現実的人物も現実の道徳的限界の中では敢てなそうとか或いは敢て成そうと欲し得ないような心理学的首尾一貫さによってのみ、理念的に制限されている」とされる。キェルケゴール本人は「非人称的に或いは第三人称として人称的に、プロンプターであって、詩的に諸著者を作り出した」のであり、仮名著者の序言は彼らの創作であり、それだけでなく、彼らの名前もそうなのだとして、仮名の諸著書には彼自身の言葉は一つも存しないとした。仮名の諸著書並びに仮名の諸著者に対して、キェルケゴール本人は「第三者として以外にはいかなる意見も持たず、読者として以外に、それらの書の意義についていかなる知識も持たず、またそれらの書に対する最も遠い個人的な関係も持たない」とした。
 ただし、ヨハネス・クリマクスとアンチ-クリマクスという仮名著者を用いていることに関しては、事情が若干異なる。それは、多くの仮名著書においては仮名著者や仮名編集者の名を記すのに留まるのに対して、ヨハネス・クリマクスを仮名著者とした『断屑』及び『後書』、並びにアンチ-クリマクスを仮名著者とした『死に至る病』及び『キリスト教への修練』においては、キェルケゴールは自らの名を編集者或いは刊行者として記しているということである。また、最初にこれらヨハネス・クリマクス及びアンチ-クリマクスの仮名を用いることになった『断屑』と『死に至る病』は、どちらも当初は自身の名でもって刊行しようとしてとりやめたという経緯があり、この点においてほかの仮名の諸著書の諸著者がその諸著書の内容の着想と同時に案出されたということと異なっている。『後書』によれば、『断屑』のとびらに編集者として自分の名をヨハネス・クリマクスに並記したのは、「法律的かつ文学的に責任が自分にある」からであり、また「現実の中での対象の絶対的な意義のために、現実において示されるかもしれぬものを引き受けるべき、名前の挙げられた責任者がそこに居るという、義務を負った注意深さを表現することが必要だったからだ」という。この記述は『死に至る病』が刊行される前のものであり、まだアンチ-クリマクスという仮名が案出される前の記述であるが、アンチ-クリマクスにも一応は妥当するとみる必要がある。これはキェルケゴール自身が『死に至る病』刊行前後において、このヨハネス・クリマクスとアンチ-クリマクスの関係、及びこの二人の仮名著者と自分との関係について数多くの記述を残していることからそう言えると思われる。それらの記述から要点をかいつまんでまとめておく。

1⃣アンチ-クリマクスの仮名使用は、一応は他の仮名使用の諸著書と同じく間接的伝知=ソクラテス的産婆術という著作家=実存方式をとる。

2⃣アンチ-クリマクスの著作はヨハネス・クリマクスのそれと同じくキェルケゴール本人の名が編集者として添えられている。これが以上に記した意味で、他の仮名諸著者の諸著作と異なる。

3⃣『死に至る病』という、自分自身よりも高い立場にあるキリスト教的著作を世に出す資格・権利が自分にはないことを悩んだ果てに案出されたのがアンチ-クリマクスという仮名である。アンチ-クリマクスという仮名は、これまでにないほどの異常なまでに非凡で高度のキリスト者として、「建徳的著作家」つまりキェルケゴール本人よりも一層高い。それ以前の仮名使用は、編集者としてのキェルケゴールの名が添えられているヨハネス・クリマクスも含めて、彼本人よりも低い。ヨハネス・クリマクスのクリマクスには、完全なキリスト者を目指して上昇する方向が暗示されているが、アンチ-クリマクスは申し分のないキリスト者が暗示されることによって、上昇方向が停止を受けてその方向が逆になる。つまり、アンチ-クリマクスというキェルケゴール本人よりも一層高いものが呈示されることで、これがまさしくキェルケゴール本人を彼自身の限界内に引き止める。彼にしてみれば彼の生存は、アンチ-クリマクスの要求する高さに相応していない。他の仮名の諸著者は、キェルケゴール本人にしてみれば、彼らがキリスト者であることを否定しさえするほど低い立場に据え置いて案出されたのだが、アンチ-クリマクスはその反対であり、アンチ-クリマクスの立場からしてみればむしろキェルケゴール本人が、彼にとっての仮名の諸著者の関係のようになり、彼自身アンチ-クリマクスには身を屈し、断罪されてしまう立場になるという。

4⃣アンチ-クリマクスはヨハネス・アンチ-クリマクスと記されていたこともあり、またアンチクリマクスからアンチ-クリマクスという表記への変更がなされていることを見るに、これはヨハネス・クリマクスとアンチ-クリマクスが、どちらも間接的伝知によって、単純素朴に真のキリスト者であるという一点を目指すという共通点を持ちながらも、前者が自らを低く置いてキリスト者ではない立場に甘んじながら間接攻撃をなすのみで、その結果一切を諧謔の内に解消するだけであるのに対して、後者は自己と理念を混同しているほどのキリスト者ではあるが、その理念の叙述は全く正しく、明らかに直接攻撃をなす者だという点で、これら二人の仮名著者が相互対論的(弁証法的)に対立する者同士として位置づけられていることを表していると思われる。

2.冒頭に掲げられたドイツ語の引用詩

 Herr! gieb uns blöde Augen
 für Dinge, die nichts taugen,
 und Augen voller Klarheit
 in alle deine Wahrheit.

 主よ!我らに
 役に立たぬ物事に対してはかすめる眼を、
 そして汝の全ての真理には
 澄み冴えた眼を与えたまえ。(拙訳)

 これは、一般にカトリック神学者J.M.Sailerによる『エペソ書』5章15-21節についての説教として知られる詩である。「されば愼みてその歩むところに心せよ、智からぬ者の如くせず、智き者の如くし、また機會をうかがへ、そは時惡しければなり。この故に愚とならず、主の御意の如何を悟れ。酒に醉ふな、放蕩はその中にあり、むしろ御靈にて滿され、詩と讃美と靈の歌とをもて語り合ひ、また主に向ひて心より且うたひ、かつ讃美せよ。凡ての事に就きて常に我らの主イエス・キリストの名によりて父なる神に感謝し、キリストを畏みて互に服へ」(『エペソ書』5章15-21節)。詩は、このエペソ書の内容を踏まえた上で、この世的な真理と汝(主)の側にある真理との質的な断絶を対比している。この世的な真理は、どこまでも仮言的(カント)であり、条件付きである。いわゆる処世訓等はその典型である。そうしたこの世的な尺度に対してはどうかよく見えない眼をください、というのが「役に立たぬ物事に対してはかすめる眼を[与えたまえ]」というところのモットーである。そして、永遠の真理に対してのみ、常に澄冴えた眼を与えたまえと祈るわけである。無条件、無制約なものに接触するためには、上記のエペソ書の引用にもみられるが、この一途さが必要だというわけである。

3.序言

⑴序言の終わりにおいて「この作品全体において、絶望は薬としてではなく、病として理解されていることを、私はここではっきりと注意しておきたい。即ち、絶望はそれほどに弁証法的である」と述べられている。「弁証法的」というのはデンマーク語の形容詞dialektiskで、ドイツ語ではdialektischに当たる。キェルケゴールの場合は原意の「相互対論的」という意味に接近して用いられている。大谷長博士によれば、このような記述は「絶望の本来的「非-自由」性の弁証法的な様相を暗示している」という。この「非-自由」という表記は、大谷博士によるものであるが、彼がその際に表そうとしたのは、この「非-自由」のハイフンによって、キェルケゴール非自由とは、まさしく非自由であるが、自由がその非自由の雁字搦めの内で苦悶しており、そしてその非自由の最終局面において、自由が飛躍的に現成する、ということである。キェルケゴールのいう絶望は(これは本書やその他の著作における不安や憂鬱などといった概念もそうであるが)、この非自由の「非-自由」性の弁証法的な様相を持っているというのである。「絶望は薬としてではなく病として理解されている」という記述にもこの「非-自由」性の弁証法的な様相を見て取る必要がある。つまり、「表面的には病としての絶望理解」と「背後にある薬としての絶望理解」という、一見矛盾するようにみえる二項と、その二項の関係が弁証法的=相互対論的に考えられているということである。『死に至る病』を読む上では、常にこの絶望という非自由の「非-自由」性の弁証法的=相互対論的な構造に着目することが肝要となる。これを踏まえておくことで、一見「建徳と覚醒のための」と書かれていることと、「絶望は薬としてではなく病として理解されている」と書かれていることとに見られるような矛盾の本質を見て取ることができるようになる。

 

⑵上記の引用の直後には、続けて「同じように、まさにキリスト教的術語においても、死は最大の精神的悲惨のための表現であり、しかも治療はまさに死ぬこと、死に切ることなのである」とある。「死に切る」にあたるのはデンマーク語のafdøeであり、ドイツ語訳ではabsterbenである。キェルケゴールは日記において新約聖書この「死に切ること」を「精神になること」=「キリスト者になること」だと教えていると繰り返し述べており、この語をat leve som død=zu leben wie tot=死せるが如く生きると同義として扱っている。また、この「死に切ること」=「死せるが如く生きること」は「死の瞬間に見るようなふうに眺めること」とも「神を見るための条件」とも言われている。

 「死に切るというのは、宗教的には「地上的な快楽や満足から回心し、そういう楽しみを捨てて顧みない」という意味である。新約聖書において、この死に切ることは「罪に就きて死ぬ」或いは「キリストと共に死にて此の世の小學を離れ[て生きる]」などとといった表現で語られている。たとえば次の通りである「されば何をか言はん、恩惠の増さんために罪のうちに止るべきか、決して然らず、罪に就きて死にたる我らは爭で尚その中に生きんや」(『ロマ書』61-2節)。「彼(キリスト)は罪を犯さず、その口に虚僞なく、また罵られて罵らず、苦しめられて脅かさず、正しく審きたまふ者に己を委ね、木の上に懸りて、みづから我らの罪を己が身に負ひ給へり。これ我らが罪に就きて死に、義に就きて生きん爲なり。汝らは彼の傷によりて癒されたり」(『ペテロ前書』222-24節)。「汝等もしキリストと共に死にて此の世の小學を離れしならば、何ぞなほ世に生ける者のごとく人の誡命と教とに循ひて、『捫るな、味ふな、觸るな』と云ふ規の下に在るか。此等はみな用ふれば盡くる物なり。これらの誡命は、みづから定めたる禮拜と謙遜と身を惜まぬ事とによりて知慧あるごとく見ゆれど、實は肉慾の放縱を防ぐ力なし。汝等もしキリストと共に甦へらせられしならば、上にあるものを求めよ、キリスト彼處に在りて神の右に坐し給ふなり。汝ら上にあるものを念ひ、地に在るものを念ふな、汝らは死にたる者にして、其の生命はキリストとともに神の中に隱れ在ればなり。我らの生命なるキリストの現れ給ふとき、汝らも之とともに榮光のうちに現れん」(『コロサイ書』220-34節)。ここで最後に引用した『コロサイ書』の「キリストと共に死にて此の世の小學を離れ[て生きる]」という記述に目を留めてみよう。「此の世の小學」という文語訳は、原文ではstoicheia tū kosumūで、原意は「この世(世界)の諸元素」であり、エンペドクレスの四大元素(火・風・水・土)のことを指している。ヘレニズム期の諸宗教混淆の潮流の中ではこの四大元素が宇宙的秩序の維持の役割を果たしているものだとして礼拝対象となっており、特定の時節に特定の儀式を行う集団が現れていた。この様子は、『ソロモンの智慧』等に見て取ることができる。「まことに神を悟らざる全ての人は、生まれながらにしてむなしきものなり。眼に見ゆるよきものによりて、彼等は在まし給ふものを知る權をもたず、また、その業に目をとむる事によりて、それを造り給ひしものを認むる事を知らず、ただ、火、風、またはすみやかなる風、廻りゆく星、波立つ水、または天の諸星、これらのものを、世を治むる神々なりと思ひたりき。もし、これらのものの美しさを喜びてこれを神なりとしたりしならば、彼等はこれらのものよりも權ある主は、さらに勝れるものなるを知るべきなり。これらのものは美の最初の創造者によりて造られたればなり。されど若し、これらのものの權と勢ひに驚きたるによるものならば、彼等はこれらを造り給ひしものの、いかに力強きものなるかを知るべきなり。つくられしものの美しさの大いなるによりて、人は自づからにその最初の造主の姿を思ふなり。されど、これらの人々もせめらるる所少なし。おそらくは彼等も神を求め、神を見出さんと望みつつ、迷ひ出でたりしものなるべければなり。神の業の中に住みて彼等は心を盡くしてさぐり求む。されど彼等の見るものの、餘りに美しきゆゑに彼等はその見ることにとらはるるなり。されど、彼等とても言ひ逃がるべきやうなし、もし、かかる事どもを知る權をもち、事物の道をたづね知るを得たらんには、いかなれば彼等は、これらのものを造りし、權ある主をすみやかに見出さざりしや」(『ソロモンの智慧(智慧の書)』11-9節)。先の『コロサイ書』の引用の少し手前には、「然れば汝ら食物あるひは飮物につき、祭あるいは月朔あるいは安息日の事につきて、誰にも審かるな。此等はみな來らんとする者の影にして、其の本體はキリストに屬けり。殊更に謙遜をよそほひ御使を拜する者に、汝らの褒美を奪はるな。かかる者は見し所のものに基き、肉の念に隨ひて徒らに誇り、首に屬くことをせざるなり」(216-19節)とあるが、この「謙遜(自己卑下)をよそほひ御使(天使)をする」というのが、天使をも含めたこの世=宇宙的秩序を維持する支配勢力の下に跪くということであり、その象徴として一部の食物の忌避つまり断食を実践していたことになる。これが「この世(世界)の諸元素」に呪縛されることに相当する。文語訳でこれが「此の世の小學」となっているのは、この「この世(世界)の諸元素」に、中国の宋代における朱熹がその門人劉子澄らの協力を得て編纂した日常の礼儀作法や古聖人の格言・箴言・善行・人倫の実践的教訓などを古今の書から集めたもの」である『小学』に対応させたのだろうか。ともあれ「死に切る」ということが「キリストと共に死にて此の世の小學(世界の諸元素)を離れて生きる」と同義であるというのは、キリストの十字架を通して、神を離れた神のない罪の生活をまず殺し、その死を乗り越えて、神と共にある新しい生活に生きることを意味している。こうして、「精神になる」=「キリスト者になる」と同義である「死に切る」ということが、その少し前で絶望は薬としてではなく、病として理解されている[…]絶望はそれほどに弁証法的である」ということで言われている「「表面的には病としての絶望理解」と「背後にある薬としての絶望理解」という、一見矛盾するようにみえる二項と、その二項の関係が弁証法的=相互対論的に考えられている」ことや、冒頭に掲げられているドイツ語の詩にみられる弁証法的=相互対論的な記述と同じ弁証法=相互対論を見て取ることができるようになる。なお、この「死に切る」ということで生きられる場所は、あの世ではない。その場所はやはり元のこの世であることには変わりはない。また、だからといっていわゆる「世捨て人」のように隠遁生活を送ったり、修道院に入ったりすることには当たらない。『後書』のヨハネス・クリマクスは、この「死に切る」=「死せるが如く生きる」にあたることへの課題を、「信仰」=「実存的パトス」=「実存の改造」=「行為」であるとし、それを「絶対的テロスに対して絶対的に関係すると同時に相対的テロスに対して相対的に関係すること」としている。テロス(Telos)というギリシャ語が取られているのは、大谷博士によれば、「実践的理性が目的によって、つまり自分自身を越え出た一定の目的を持つことによって理論的理性から区別される」と述べたアリストテレスからの伝統にキェルケゴールが従おうとしたためだという。「相対的テロスに対して相対的に関係する」というのが上記の「此の世の小學」=「世界の諸元素」に従って生きること、「絶対的テロス対して絶対的に関係する」というのが「絶対的な倫理的善」=「永遠の浄福」の存することを個人が行為によって表現することでのみ証明しながら生きること(キェルケゴールの見解に従えば「絶対的な倫理的善」=「永遠の浄福」はそれによってのみ証明される)にあたる。「死に切る」=「死せるが如く生きる」以前の個人は、「死に切る」=「死せるが如く生きる」ことの課題とは全く反対に、「絶対的テロスに対して相対的に関係すると同時に相対的テロスに対して絶対的に関係する」ことに従事しており、「絶対的テロスに対して絶対的に関係すると同時に相対的テロスに対して相対的に関係する」ということから始めない。従って「絶対的テロスに対して絶対的に関係すると同時に相対的テロスに対して相対的に関係する」ということへの生成の努力が課題となるべきだということになるのだが、この「実存の改造」によっても、個人が実存の内に留まることには変わりはない。「実存の改造」においても、「絶対的テロスに対して絶対的に関係する」ことに努めるあまり「相対的テロスに対して相対的に関係する」ことを欠いてはならない。つまり、この世の内に踏み止まることを欠いてはならないのである。「絶対的テロスに対して絶対的に関係することに努めて相対的テロスに対して相対的に関係することを欠くこと」もまだ「死に切る」=「死せるが如く生きる」以前であり、「死に至る病」=「絶望」=「罪」なのである。「絶対的テロスに対して絶対的に関係すると同時に相対的テロスに対して相対的に関係する」というこの相互対論的(弁証法的)な関係の均衡に努めることを課題とする「実存的パトス」=「実存の改造」=「行為」は、内面性があまりに外面的な表現をとってはならないということや、世界と自分自身の間が質的に分かたれているということに関わらねばならず、この弁証法的=相互対論的な関係には少しの割引も不均衡も許されない。アンチ-クリマクス(キェルケゴール)が「死に切る」と言っていることのうちには、これだけの非常に困難な課題が呈示されているのだということを明記しておかなければならない。このことが、この序言に続く序論を読み解く上でも重要となる。

 

ソクラテスの遺言-ミシェル・フーコー『真理の勇気-自己と他者の統治Ⅱ-』-

 

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ソクラテスの遺言

ミシェル・フーコー『真理の勇気-自己と他者の統治Ⅱ-』

1984年2月15日 第二時限講義の考察

「真理のためには命を捧げる」

(ラテン詩人ジュヴェナーリス)

 

0.はじめに

 本稿は、主にミシェル・フーコーが『真理の勇気-自己と他者の統治Ⅱ-』講義(1984年2月15日第二時限)において提示した「ソクラテスの遺言」についての見解を考察・補足するものである。

 

1.導入

 フーコー自身が2月1日講義で自ら極めて図式的な説明として説明していることを捉えておくと理解が進みやすくなる。その図式とは「真理/知」⇔「権力/他者・規範」⇔「主体/自己」というトライアングル回路である。

 

 私は、政治的実践の領野においてパレーシアの分析を取り上げ直すことによって、或いはそうした分析を企てることによって、主体と真理との諸関係について私が企ててきた分析の中に結局のところ絶えず現前していた一つのテーマ、つまり、主体と真理との間の作用における権力の諸関係及びその役割というテーマに接近しました。(フーコー『真理の勇気』p.12)

 

 ここで言っているのは、つまり「真理/知」と「主体/自己」の相互関係において「自由の実践(倫理的実践)[=パレーシア・何についてでも率直に真実を語ること]」が働いているが、そこに「権力/他者・規範」はいかに規制を働かせているかを観る、という ことである。「パレーシアステースとしてのソクラテス」ないしを考察するうえでもこのトライアングル回路の図式は方法として生きているので、これを踏まえておくことが重要となる。

 

2.ソクラテスの遺言の謎

 まず、フーコープラトンパイドン』の最後の数行において、プラトンによって報告されているソクラテスの最期の言葉が哲学史においてずっと謎とされ続けてきた難題であることを取り上げる。

 

プラトンパイドン』118a「クリトン、我々はアスクレピオスに雄鶏一羽の借りがある。その借りを返しておいてくれ、忘れないようにしてくれ。」

 

 alla apodote kai mê amelêsêteで「その借りを返しておいてくれ」となるが、フーコー自身が参照している仏語訳ではなぜか「私の借りを返しておいてくれ」となっているようである。フーコー自身もそれを指摘しているが、ここでの違いはこの謎の分析にも関わってくるのでポイントとして抑えておくことが必要になる。なお、フーコーはこの難題を解決する為に、主に彼の恩師の一人であるジョルジュ・デュメジルの『灰色の層』の第二テクストにおける解釈を援用しつつ、通俗的とされる解釈や、ニーチェやヴィラモーヴィッツ、フランツ・キュモンらの解釈を通覧し、この謎についての自らの解釈を提示していくことになる。

 

※ジョルジュ・デュメジル(1898-1986):比較神話学者。フーコーとは1956年春にスウェーデンのウプサラで出会って以来、フーコーの最晩年に至るまで中断されることなく続いた。フーコーデュメジルとの間に保たえる事になる知的影響及び友情の関係については、デゥディエ・エリボン著『ミシェル・フーコー伝』に詳しい。

 

3.議論の大前提となること-アスクレピオスという神とギリシアの儀礼的行為-

 アスクレピオスは人間に対してたった一つのことしかしない神、即ち時々人間に治癒をもたらすことしかしない神である。「アスクレピオスに雄鶏一羽を捧げる」ということは、アスクレピオスが実際に治癒をもたらした時、治癒が実際に果たされたあとで、この神に感謝を捧げるために行われた伝統的な儀礼的行為である。

 

4.哲学史上の伝統的解釈-生はそれ自体一つの病であり、死はその病の治癒である-

 ソクラテスの最期の言葉は、「生はそれ自体一つの病であり、死はその病の治癒である。従ってソクラテスは最後にこの病から解放してくれたアスクレピオスに感謝の意を示すために捧げ物をするように勧告した」と解釈されてきた(フーコーが挙げている例:ラマルティーヌ、ロバン、バーネット、ニーチェ、オリュンピオドロス)。

 

※新プラトン主義者・オリュンピオドロスの解釈:「なぜ、アスクレピオスに雄鶏の捧げ物がなされたのか。それはen tê genesei(生成の中で、時間の中で)、魂を苦しめたものに、治癒がもたらされるようにするためである。つまり、魂は死を通じて永遠に近づき、genesis(生成、その変化、その堕落)を逃れることになるのであり、そして魂は、死によってgenesisに結びついたあらゆる苦難から治癒することになるのだ。」

 

 フーコーによれば、この解釈は厳密には「生がそれ自体一つの病である」という考えではないが、歴史上においてこれ以降に現れる捉え方とは互いに似通っている。フーコーはそれにしたがって、ソクラテスの最後の言葉を「生はそれ自体一つの病であり、死はその病の治癒である。従ってソクラテスは最後にこの病から解放してくれたアスクレピオスに感謝の意を示すために捧げ物をするように勧告した」と捉える解釈は、ほぼ二千年前からずっとなされてきた哲学史上の伝統的解釈だと位置づける。

 

5.ニーチェの解釈-ソクラテスの最期の言葉と存命中の姿勢の間にある矛盾の指摘-

 ニーチェもまたソクラテスの最期の言葉の謎を「生はそれ自体一つの病であり、死はその病の治癒である。従ってソクラテスは最後にこの病から解放してくれたアスクレピオスに感謝の意を示すために捧げ物をするように勧告した」という捉え方から解釈している。しかしニーチェは、そのように解釈すると、ソクラテスがその生の最後の瞬間に発した言葉と存命中に彼が語り、成してきた全てのこととの間に矛盾が生じることを完璧に見抜いた。ニーチェは「生は一つの病であり、死によって治癒をもたらされるべきである」という考えが、生前のソクラテスの教えには符合しえないと指摘した。その上でニーチェは、その矛盾の解決のために、ソクラテスが、唾棄すべき前者をもって賞賛すべき後者のすべてを打ち消して台無しにしてしまったとした。その詳細は『悦ばしき知識』§340「死に臨んだソクラテス」に記されている。

 

ニーチェ『悦ばしき知識』§340:「死に臨んだソクラテス。私は、ソクラテスがなしたこと、語ったこと-そして全く語らなかったこと-の全てにおける彼の勇気と叡智に敬服する。皮肉と愛に満ちた神霊にしてアテナイのねずみとりであったこの人物、不遜極まる若者たちをも震え上がらせ嗚咽させたものこの人物は、かつてこの世に在った最も賢明な多弁家であったばかりではない。彼は沈黙においても同様に偉大であった。私が思うには、彼はその生涯の最後の瞬間にも沈黙を守ってくれたらよかったのだ。そうしてくれていたなら、恐らく彼は一層高い精神段階に属していただろう。ところが、それが死であったのか毒であったのか、敬虔さであったのか悪意であったのか、そのどれであったのかは知らないが、とにかくその時何かがあの最後の瞬間に彼の口を解きほぐし、で彼は言ったのだ、「おお、クリトンよ、私はアスクレピオス神に雄鶏一羽の借りがある」と。この笑止でありかる恐るべき「最期の言葉」は、聞く耳ある者にとっては次のことを意味している。「おお、クリトンよ、生は一つの病である!」と。こともあろうに!明朗で、誰が見ても兵士のように生きてきた、彼ほどの人物が、ペシミストだったとは!どうやら彼は、生に対して平静を保って見せていていただけだったのであり、生きているうちは自らの究極の判断、自分の奥底の感情を隠していたに過ぎないのだ!ソクラテス、このソクラテスは生に苦悩していたのだ!のみならず彼は尚その復讐までやったのだ。その曖昧で怖ろしく、敬虔であると同時に冒瀆的な言葉によって!ソクラテスの如き人物でさえも、復讐せずにはおれなかったのか?彼の有り余るばかりの徳の中にも一グランの宏量が欠けていたのか?おお、友よ!我々は、ギリシア人をも超克しなくてはならぬのだ!」

 

6.デュメジルの解釈①-アスクレピオスへの借りに関する再考察の必要性-

 デュメジルもまたニーチェと同じような矛盾を捉えた人であるが、彼は問題のテクストに与えるべき意味に関してニーチェとは全く異なる結論へと至る。まず、プラトンの全著作を俯瞰しても、また『パイドン』それだけを取り上げても「生は一つの病である」とは教えられられてはいない。

 

※『パイドン』62b:「「[…]秘教において発せられる言葉に次のようなものがある。我々はphrouraにいる(en tini phroura)のであって、そこから自分を解放したり逃げ出したりしてはならないというのだが、これはどうも深遠な教えで、僕には容易なことでは理解し難いもののようだ。だがケベス、少なくとも、これだけは本当だと思われる。つまり、我々に気を配ってくださるのは神々である(to tous theous einai epimeloumenous)、そして我々人間は、神々の所有物の一つなのだ(tôn sautou ktêmatôn)ということだけは。君にはそう思えないかね」「思います」とケベスが答えました。」

 

 phroura(プルーラ)という語は、oraô(オラオー:見る)という動詞に由来し、警戒の行き届いた空間を喚起させる語である。それにポジティブな意味を与えるかネガティブな意味を与えるか、或いは受動的な意味を与えるか能動的な意味を与えるかによって、「監獄」、「牢獄」、「囲い地」、「監視区域」、「監視哨」、「見張られている場所」等といった訳され方がなされる。しかし重要なのは、このことではなく、むしろその後に続くソクラテスの語りである。つまり、「我々人間が神々による配慮と心遣い(epimeleisthaiエピメレイスタイ)の対象だ」ということのほうが重要である。エピメレイアないしエピメレイスタイという語は、常にポジティヴな活動を指し示す語である。従って「我々はphrouraにいる」という一節に「我々は神々によって監視された監獄の中にいる」というようなネガティヴな意味を与えることはできず、むしろ、「我々はこの世において神々の好意や保護、心遣いのもとにいる」という意味に解されるものである。これは「生は一つの病であり、人は死によってそこから解放される」という考えとは合わない。

 

※『パイドン』69a-e(※1):「[…]快楽と快楽、苦痛と苦痛、恐怖と恐怖を、まるで貨幣ででもあるかのように、大きいのと小さいのとを交換するのは、徳を得るための正しい交換とはいえないだろう。そうではなくて我々がこれら全てをそれと交換すべきただ一つの真正な貨幣があるだろう。知恵こそそれなのだ。そしてもしすべてが、それを得るために、或いはそれを用いて売買されるなら、その時こそ真の勇気、節制、正義、一言にして言えば、真の徳が存在するのだ。

 真の徳は知恵を伴うものであって、快楽、恐怖その他全てそういうものが加わろうが、取り去られようが、それは問題ではない。しかしこれらが知恵から切り離されて相互の間で交換されるならば、そのような徳は、いわば絵に描いた餅にすぎないのであり、まこと奴隷の徳であり、何らの健全さも真実も含まないであろう。真の徳とは節制であれ、正義であれ、勇気であれ、全てそのような情念からの正に浄化であり、知恵こそこの浄めの役を果たすものではないか。

 あの、我々のために浄めの秘儀なるものを作ってくれた人々も、恐らく軽蔑すべきではないのかもしれない。あの人たちが昔から語っていたこと、つまり秘儀によって浄められることなしにハーデース(冥府)に至るものは泥土の中に横たわり、秘儀を受けて浄められてからかの地に至るものは、神々とともに住むであろうと語っていたことは、実は謎の言葉でこの事を暗示していたのではないだろうか。実際、秘儀に携わる人々が言うように、『バッコスの杖を持つ人は多いが、真実のバッコスのしもべは少ない』。僕の考えでは、このバッコスのしもべとは真に哲学に携わる人々にほかならない。

 僕もそういう人々の一人になりたいと、一生の間、できるだけ何一つ疎かにせずあらゆる努力を続けてきた。僕の努力が正しかったか、何らかの成果をおさめ得たかどうかは、あの世へ行った時に、明らかになし得るであろう、もし神が望み給うならば。思うに、その時はもうすぐなのだ。これが、シミアスとケベス、僕の弁明だ。僕が君たちやこの世の主人たちから離れていくにあたって、あの世でも、この世と同じように、よき主人たち(神々)や仲間たちに会えるだろうと確信して、苦しみや嘆きもしないのはなぜか、ということのね。もしこの弁明で、僕がアテナイの裁判官たちを納得させたより、もっとよく君たちを納得させたのなら、嬉しいことだが。」

 

 『パイドン』のテクスト全体、また彼の死をめぐる物語の全体、更にはプラトンの著作全体の中で、当然の事ながらソクラテスは、哲学的な生、純粋な生を送っている人物として現れている。

つまり、いかなる情念にも、いかなる欲望にも、抑制されざるいかなる欲求にも、いかなる誤った意見にも乱されることのない生を送っている人物[=善きパレーシアステース]として現れているということである。そしてこのソクラテスは、幾度となく都市国家において面倒な市民たちにつきまとわれてうんざりされられることがある。また『国家』第八巻において語られる「悪しき民主的都市国家」では、「一人ひとりが理性の原則にも真理の原則にも従わず、自制することができないままに様々に異なる利害・情念に衝き動かされて互いに理解しない、好き勝手なお喋りをする者たち」=「悪しきパレーシアステースたち」の只中にもいることになる。そういう「悪しきパレーシアステースたち」或いは「バッコスの杖を持つ人たち」が跋扈するこの世にあって、ソクラテスの如き「真実のバッコスのしもべたち」=「真に哲学に携わる人々」=「真の徳を持つよき仲間たち」=「よきパレーシアステースたち」は少ない。しかし、少ないとはいえ、同じく「真実のバッコスのしもべ」たるよき仲間たちがこの世にいることには変わりがない。ソクラテスが死を恐れないのは、そのように、あの世においても、この世においてと全く同様に、よき主人たち(神々)とよき仲間たちに会うことができるであろうと確信していたからである。このテクストではっきりと示されているのは、この世とあの世との間には恐らく差異があるということであり、その差異とはあの世においては全てがこの世に優っているということではある。しかしそうであるとはいえ、それは、我々がこの世にあっては病者のような者であり、死とは自分たちの生という病から解放されて自由になることであるという主張から展開される議論とはいえない。

 

※『パイドン』66e-67b:「[…]もし何かを純粋に見ようとするなら、肉体から離れて、魂そのものによって、物そのものを見なければならないということは、我々には確かに明白な事実なのだ。そして思うに、その時にこそ、我々が求め、恋焦がれているというもの、即ち知恵が、我々のものになりえるのだ。我々の議論の示すように、それは死んでからであって、生きているうちには不可能なのだ。なぜなら、もし我々が肉体とともに会っては、何事をも純粋に捉えることができないとすれば、残るところは二つに一つ、つまり決して知に到達し得ないか、或いは死後にではないか。死んで初めて、魂は肉体から離れ純粋に魂だけになるが、それまでは不可能なのだからね。

 そして生きている間は、次のようにすれば知に最も近づき得るだろうと思う。即ちどうしてもやむを得ない場合以外は、できるだけ肉体と交わったり共同したりすることを避け、肉体の本性に染まらず清浄であるように努め、神ご自身が我々を解き放してくださるのを待つことだ。こうして肉体の愚かさから離れて清浄であれば、我々は恐らく同じように汚れない人々と共にあり、我々自身を通して全ての汚れない真実に至るであろう。清浄でないものが清浄なものに触れることは許されないことだから。」

 

 ソクラテスはかくも賢明で、かくも身体から引き離された生を送っていた。そのような生にとってこの世に害悪はありえない。死を迎えようとしている時、死を受け入れる時、死を喜んでいる時に、ソクラテスは決して生が一つの病であるなどとは語りもしなかったし、考えてもいなかった。そこから突然ソクラテスの遺言に登場した「アスクレピオスへの捧げ物」という語りにおいて問題となっているのが生という病から解放してくれた神への感謝なのだなどという考えをソクラテスが持っていたとは考えられない。しかし、「アスクレピオスへの捧げ物」という儀礼的行為は、病を参照する一つの儀礼の内部で行われるということは非常に正確なことであり、他方でソクラテスが生そのものを病とはみなしていないし、また死その物が一つの治癒であるとみなされることもありえないということがまた正確なことであるとすれば、この問題は一体どのように解決しうるのか。一体ソクラテスが「アスクレピオスに捧げ物をしてくれ」と言わしめた時に、何が病と目されていたのか、そして人々が実際にそこから解放されて自由になるとはどういうことなのか。そしてアスクレピオスへの感謝とは何を感謝してのことなのか。

 

7.デュメジルの解釈②-クリトンの脱獄提案のエピソードに注目する-

 デュメジルは『クリトン』におけるクリトンが、ソクラテスに対して脱走を提案しに来たエピソードと、『パイドン』におけるソクラテスの最後の言葉がクリトンに向けられてものであったことに注目する。その上で「我々はアスクレピオスに雄鶏一羽の借りがある」というこの最後の言葉に注目してみると、呼び止められているのがクリトンであるのにもかかわらず、その直後で、負債はクリトン一人ではなくて「我々」が負っている、となっている。この「我々」という言い方からは、ソクラテスとクリトンとその他の人々が含まれていると考えることもできるし、少なくともクリトンとソクラテスの二人が負債を負っている、ということは確実である。彼らが共に追っていたとされるこの負債とは何なのか。少なくともクリトンが呼び止められた以上、彼はその負債がなんなのかについて完璧に知っているはずである。そこで、クリトンとソクラテス(原文ではプラトンになっている)が差し向かいになる唯一の対話である「脱走を提案しにきたクリトンのエピソード」に対して問わなければならない。

 

ソクラテスに脱走を提案したクリトンの主張

①もしソクラテスが逃げなければ、ソクラテスはまず自分自身を裏切ることになるだろう。

②もしソクラテスが死を受け入れて、ソクラテスの子どもたちを彼がそこで何もしてやることのできないような生に委ねるとしたら、ソクラテスソクラテス自身の子どもたちを裏切ることになるだろう。

③もしソクラテスを救い出すために、ソクラテスの友人たちがあらゆる手を尽くすことも、あらゆる手段を探すことも、あらゆる可能な手立てを用いることもしなかった、という非難を受けるとしたら、それは他の市民たちや世論の前で、ソクラテスの友人たちにとって恥辱となるだろう。そしてソクラテスソクラテスの友人たちは、いわば世論の前で、そして世論によって、恥辱を受けることになるだろう。

 

ソクラテスのクリトンに対する返答(フーコーデュメジルの解釈込み)

 そのように盲目的に人々の意見に従いうるなどと考えることはできない。たとえば体育が問題となる時、つまり身体に与えるべき気配りが問題となる時、人は万人の意見に従うだろうか。それともそれに精通している人々の意見に従うだろうか。もし万人の意見に従い、どんな人の意見にでも従うとしたら、一体何が起こるだろうか。その時には、誤った養生法に従うことになり、身体は多大なる害悪を被るだろう。身体は、堕落し、損なわれ、破壊されるだろう。

 それと同様に、もはや身体にとって有用であるかそれとも有害であるかという事に関してではなく、我々自身の一部分である魂に関わることである正義と不正、善と悪との差異が問題となる時、つまり魂への気配りが問題となる時に、それを知らない人々の意見に従うことは、魂が損なわれ、堕落し、破壊されてしまう恐れがあるのではないか。そうならないためには何が正義で何が不正かの決定を可能にするものにのみ配慮することが肝要である。何が正義で何が不正かを決定するものは真理である。したがって、自己自身のことを気にかけるなら、魂への気配りに専心し、それが破壊され堕落するのを避けたいなら真理に従わなければならない。

 

 フーコーソクラテスがクリトンに返答していることについて、「魂が形而上学的に基礎づけられる以前に、自己の自己に対する関係が問いに付されている」としている。そして、以上のクリトンとソクラテスの問答のエピソードと、ソクラテスの遺言に見られる「アスクレピオスへの捧げ物」の意味からフーコーデュメジルが引き出す結論は、次のとおりである。

ソクラテスの遺言において暗に言われている「病」とは「正義と不正、善と悪との差異とが関わる魂を損なわせ、堕落させ、破壊してしまい、悪い状態にしてしまうもの」=「真理の観点から吟味もテストもされず試練にも掛けられていない、誤りを含む万人(悪しきパレーシアステースたち)の意見」である。

②「病を治癒する」とは、魂を堕落した状態から健康な状態に回復させることであり、そうすることが可能なものとは「アレーテイア(真理)」によって武装された意見であり、理性的ロゴス(プロネーシスを特徴づけるもの)である。

アスクレピオスへの感謝の意味での「雄鶏の捧げ物」は、以上の意味での「病の治癒」を感謝する意味合いでの儀礼的行為である。

 

プロネーシス(phronēsis):アリストテレス『ニコマコス倫理学』第6巻に登場する概念。「プロネーシス(思慮深さ)とは「人間にとっての善悪がかかわる行為の領域における、ロゴス(分別)を具えた真なる性向」である[…]。善く行為することそれ自体が行為の目的なのである。[…]自分にとっての善と人間にとっての善を見ぬくことができる[…]、家政を司る人々や政治家たちがそうした人々である[…]。」(アリストテレス『ニコマコス倫理学1140b)。

 

8.補足-ソクラテスの「真理の勇気」-

 当然のことながら、ここで仏語訳された『パイドン』のalla apodote kai mê amelêsête=「その借りを返しておいてくれ」が「私の借りを返しておいてくれ」と誤訳されていることが問題となる。元の文は「クリトン、我々はアスクレピオスに雄鶏一羽の借りがある。その借りを返しておいてくれ、忘れないようにしてくれ」である。「アスクレピオスへの雄鶏一羽の借り」は、ソクラテス一人の借りではなくて、「我々」、つまり最低限でもソクラテスとクリトンの二人、可能性としてはソクラテスを含めたその取り巻きたる弟子たち・友人たち全てが含まれていると考えられる。つまり、ソクラテスの弟子たちだけでなく、ソクラテスにも治癒がもたらされたということである。ソクラテスと彼の取り巻きとの間には、共感と友愛の絆、或いは連帯責任の絆がある、つまり、弟子たちのうちの一人が上記の意味での病を患うとき、他の取り巻きたちも、そしてソクラテス本人もまたそれを分かちあう。「我々」のうちに最低限含まれていると考えられるクリトンとソクラテスの「病」とその治癒について、クリトンの脱走提案のエピソードに絡めて考えれば、「病に罹る」とは、ソクラテスにもクリトンの脱走提案の力説に説得されて脱走を決意することがありえたかもしれない、ということに該当する。その「逆」を保証するのはソクラテスの、真理を保持するその忍耐力としての「勇気」以外には何もない。ソクラテスの自分自身及び真理に対する関係のみが、つまり彼の「真理の勇気」のみが、彼が誤った意見を聞き、それによって誘惑されるがままになることを妨げた。なお、クリトンが病から治癒したまさにその時になされ得たかもしれないアスクレピオスへの捧げ物は、その時にはなされず、ソクラテスが死ぬ時になされたということも、その捧げ物がクリトンの名においてのみならず、ソクラテスの名において、ソクラテスがまさに死ぬ瞬間においてしかなされ得ないということを意味している。このこともまた、ソクラテスの自らの死に際しての「真理の勇気」のみが、「我々」にあたるソクラテスとクリトン及びソクラテスの弟子たち全てを、魂の堕落という病から治癒しえたのだといえる根拠である。これが、まさにソクラテス流の「自己への配慮=他者への配慮」である「自己と他者の統治」であるわけだ。そしてソクラテスは最後に言う。「私が君たちにいつも言っていることをやってくれたまえ。」「君たち自身(の魂)に配慮したまえ」。つまり、「数少ないバッコスの真実のしもべ」=「真のパレーシアステース」として、「真理の勇気」を持て、と。ソクラテスの「真理の勇気」、それは、文字通り自らに死を招くことになる最大の勇気を必要とするパレーシアの行使に、自らの命を捧げた者こそが有するものであった。

 

9.まとめ

 フーコーは『真理の勇気』講義の前年度の講義に当たる『自己と他者の統治』講義の冒頭で、カントの『啓蒙とは何か』を取り上げている。この『啓蒙とは何か』の解析と、上記に取り上げたソクラテスの遺言についてのフーコーデュメジルの解釈の間には、類似した「理念型」、ないし「プソイドモルフォーゼ(擬態)」の関係が抽出できると考えられる。フーコーは『啓蒙とは何か』の分析を『自己と他者の統治』講義の冒頭に据え置くことについて、これを「補説」、「引用句みたいなもの」といい、講義の大部分において自分が選ぶもののうちにおいて重要である「自己と他者の統治」の問題系と完全一致し、極めて厳密な言葉でそれを定式化してくれる「紋章」のようなものだとしている。私見ではこの位置づけは『真理の勇気』講義においても連続して引き継がれていると思われる。これは基本的には「批判と啓蒙」の関係に関わる問題となる。フーコーの解釈するカントとソクラテスとの間に類似した「理念型」ないし「擬態」関係があるのは、フーコー「自己の自己に対する関係」というところで、カントの言うところの「批判」における「理性の理性に対する関係」、つまり「理性による理性自身の能力の吟味によって認識能力の限界を定める」ということと、「自己の倫理」の構成としての「抵抗」の基点となる「プロネーシス」、及び「真理の勇気」という問題との間にデプラスマン(転移)の関係を見出した結果であるということが理解できるように思われる。フーコーは『自己と他者の統治』講義の更に前年度に当たる『主体の解釈学』において次のように述べている(訳語に若干変更を加えている)。

 

 私は[…]自己の倫理の再構成が不可能であると感じさせるような何かを見て取らなければならないのではないかと思っています。しかし自己の倫理を構成することは恐らく緊急かつ根本的な課題であり、政治的にも不可欠な課題なのです。自己の自己に対する関係においてしか、政治的権力に対する抵抗点、第一にして究極の抵抗点はない[…]。[…]権力の問題、政治権力の問題を、統治(心)性という、もっと一般的な問題の中において考え直してみましょう。統治(心)性という言葉で、権力の諸関係の戦略的領野と考えてください。そして権力も、単に政治的な意味には留まらない、もっと広い意味で理解してください。さて、このように統治(心)性を権力の諸関係の戦略的領野の一つとして理解してみるならば、つまり、権力の諸関係の流動的で、変更可能で、逆転可能な側面に注目して見るならば、この統治(心)性の概念は、主体という要素を、理論的にも実践的にも経由せずに済ますことはできません。この場合主体とは、自己の自己に対する関係として定義されるでしょう。制度としての政治権力の理論は、普通法的な主体の法律上の概念にもとづいていますが、それに対して統治(心)性の分析-即ち、逆転可能な諸関係の総体としての権力の分析-は、自己の自己に対する関係によって規定された主体の倫理に基づかなければならないのです。[…]「権力」「統治(心)性」「自己と他者たちの統治」「自己の自己に対する関係」、この四者は連鎖して網目のようにつながっていること、そして、これらの概念を中心にして、政治の問題と倫理の問題を連結することが出来なくてはならないのです。(フーコー『主体の解釈学』p.295)。

 

 言わずと知れた事であるが、カントは認識能力を感性・知性・理性に大別し、更に狭義の感性・想像力・知性・判断力・狭義の理性に細分した。それに即して純粋知性の批判として真[=認識]の領域にかかわるものとして『純粋理性批判』を、狭義の純粋理性の批判として善[=倫理]の領域にかかわるものとして『実践理性批判』を、純粋判断力の批判として美[=美学]の領域にかかわるものとして『判断力批判』を著した。そして、自由に行為する存在としての人間が自分自身に対してなすこと、なし得ることなさねばならないことを規定するのを目的としたのが『人間学』であった。この四つのテクストを貫徹しているのが「批判」であり、フーコーは『言葉と物』で、これが淵源となった近現代の哲学的人間学の潮流において「人間学的配置」ないし「人間学の四辺形」とよばれるエピステーメーが生じたとした。『啓蒙とは何か』の分析において重要な問題として取り上げられたのは、「啓蒙」による「未成年状態」からの「脱出」であるが、フーコーがこのテクストのうちに見出すのは、近現代においてはこの「未成年状態」が、「三大批判」(ないし暗に『人間学』)が淵源となった「人間学的配置」=「人間学の四辺形」=「人間主義」によって規定されることによって生じているということであった。これが統治(心)性[=人心を掌握する権力の諸関係の戦略的領野]と密接に関わることは言うまでもないことである。そこで彼は、近現代において「批判」の果たしうる機能とは、この四つのテクストから「未成年状態」を解析するという役割を担いうるとしていた。そしてそのような「批判」を契機として、理性を行使しての「啓蒙」による「未成年状態」からの「脱出」の可能性が生まれるとした。「啓蒙」にあたっての「理性の行使」は、己自身から解放された時だけ、自律性を確保でる正当的な行使でありうる。そしてフーコーは「敢えて賢明であれ!自分自身の知性を行使する勇気を持て」が「啓蒙」の「標語」として提示されていることに注目し、「標語とはそれによって人々が自分達を認めさせる弁別的な徴であると同時に、人々が自分たちに課しまた他人たちに示す指令でもあるということを指摘した上で、啓蒙とは、人々が集団的に構成するプロセスであると同時に、また個人的に実行すべき勇気の行為であるとしている。これが先の『主体の解釈学』でいうところの「自己の自己に対する関係」「自己と他者たちの統治」(自己への配慮ないし他者への配慮)の問題系の定式になっているのであり、この「啓蒙と批判」の関係についての解析が、上記の解析で見ていくと、そのままソクラテスの遺言を巡る解釈においても見出される。悪しき民主制において跋扈している、プロネーシスを具えていない大勢の悪しきパレーシアステースの、真理の観点から吟味もテストもされず試練にも掛けられていない、善と悪・正義と不正の分別について誤りを含んだ意見がもたらす「病」の蔓延がもたらすのは、真理の開示ではなく、その反対に真理(アレーテイア)を覆う隠匿(レーテー)の闇である(ギリシャ語アレーテイアにはレーテーという語が含まれており、アレーテイアはその意味で非隠匿という意味がある)。フーコーデュメジルに依拠しながらソクラテスにこだわったわけは、ソクラテスを例にだすことによって、プロネーシスを具えた数少ない「真実のバッコスのしもべ」=「真のパレーシアステース」の友愛的な連帯や「真理の勇気」(それも死を賭けなければならないほどの最大の勇気を要する「真理の勇気」)こそが、「病」の蔓延している統治(心)性に対する究極の「抵抗」点たりうるのであり、またそのような統治(心)性を一気に逆転させ、そのような「病」を治癒することがある、ということだったのではないだろうか。

 肯定的な意味でのパレーシアは、プラトンの対話篇に端を発するそれぞれの学派によって形態は様々ではるが、紀元前世紀から紀元後五世紀までの千年間にも及んで、ギリシアのテクストからキリスト教のテクストにまで見られていた。ここで取り上げたソクラテスの遺言についての分析は、その数々のパレーシアステースの一例を挙げたに過ぎないが、では、フーコーにとって、その後の空白(パレーシアが失われていく歴史過程)を挟んでカントの『啓蒙とは何か』を取り上げ、プロネーシスを具えた自律的な真のパレーシアステースたちを取り上げた意義とは何だったのだろうか。それは、ソクラテスが置かれたのと同じような状況に置かれるような孤独な単独者が、時代・地域を超えて、近現代においても、それこそ「バッコスの杖を持つ者は多いが、真実のバッコスのしもべは少ない」と『パイドン』に記されているのと同様に、「統治(心)性」という権力の諸関係の戦略的領野において孤立した抵抗点として「布置」される可能性が常にあるということではなかろうか。それが近現代においては、そうした孤独な単独者が常に、近現代の自由とそのプログラムとしての「人間学的配置」=「人間学の四辺形」の生み出す排除構造の犠牲者となる可能性があるということにあたる。フーコーは『権力と知』において次のように述べている。

 

 人はしばしば私に向かって批判する。つまりフーコーは、「権力」関係を到るところにばらまいた結果、抵抗の可能性を奪ってしまったと。しかし、事態は逆なのです。こうした個体的、局部的な相互の抗争関係として権力を捉えることで、人はどこにどのような形で抵抗が可能となるかをその瞬間その瞬間に具体的に知ることができるのです。(『フーコー・コレクション4』p.421

 

 この記述を見ると、まるで権力関係の分析を抵抗点を発見するために用いる道具のようにみなしているであろう。フーコーが新たな人権宣言として位置づけた『政府に対しては、人権を』などにおいてあからさまであるが、フーコーが人権(国際的市民権)という大義に、倫理的にも政治的にも連帯していたことはよく知られている。フーコーの連帯は生活と理論の両面で実行されており、彼は孤立者・弱者・敗者・狂者・逸脱者等に与し、汚名に塗れた人々の生涯に与した。フーコーの著作全般に言えることでもあるが、特に後期においてパレーシアを取り上げるに至るフーコーの講義を読んでから更に他の著作を読んでいくと、常に自己の倫理の構成と我々の連帯を妨げる力を限りなく侵犯していく試みとして、歴史の厚みをもって説得力をもたせようとしているように思えてならないのだ。ことに『真理の勇気』の講義は、死期が迫っているだけに、そのような「魂の叫び声」としての度合いが強いように思われる。ここで取り上げたのはごく僅かにソクラテスの遺言についての分析のみであるが、フーコーが取り上げた「真理の勇気」の超歴史的な存在論の問題系はこれだけにとどまるものではない。だが一部分であってもここにこのように提示してみようと思った。それは昨今、ネットの普及により、真理の観点からなんの吟味もなされないままに発せられる虚偽に満ちたヘイトスピーチ等の「悪しきパレーシア」が跋扈しているためである。それらは統治(心)性という権力諸関係の戦略的領野において、それこそ戦略的な煽動によってがん細胞のように止めどとなく増えていっているように思われる。いわれのない排除構造を構築して排除されそうになっている方たちにとっては、いたずらに声を上げることが難しくなっていると思われる。そうした問題について、フーコーが提示した統治(心)性において抵抗点として点在する孤独な者たち同士の「真理の勇気」と友愛の連帯の問題系こそは、非常にクリティカルな議論を提示してくれるだろう。

 

注)

※1:私は『パイドン』69a-eについて引用したが、フーコー自身が講義において実際に引用したのはもっと短く、69D-Eである。しかし、ここで敢えてその前後のテクストも含めて引用したのは、フーコー自身が暗に『パイドン』のテクスト全体の考察をすべきと言っているのも含めて、フーコーが展開している議論の補足になりうるものと思われたからである。特にフーコーが『パイドン』69D-Eの次に引用して解釈を施す『パイドン』67Aとの関わりでも、69A-Cを参照しておくことは理解の助けになると思われるたので引用した。

 

参考文献リスト

Michel Foucault, L'Herméneutique du sujet - Cours au collège de France. 1981-1982, HAUTES ÉTUDES, GALLIMARD SEUIL 2001(邦訳:廣瀬浩司/原和之訳『ミシェル・フーコー思考集成11 主体の解釈学』筑摩書房 2004)

Michel Foucault, Le gouvernement de soi et des autres - Cours au collège de France.1982-1983, HAUTES ÉTUDES, GALLIMARD SEUIL 2008(邦訳:阿部崇訳『ミシェル・フーコー思考集成12 自己と他者の統治』筑摩書房 2010)

Michel Foucault, Le courage de la vérité – Le gouvernement de soi et des autres Ⅱ - Cours au collège de France.1983-1984, HAUTES ÉTUDES, GALLIMARD SEUIL 2009(邦訳:慎改康之訳『ミシェル・フーコー講義集成13 真理の勇気-自己と他者の統治Ⅱ-』筑摩書房 2012)

ミシェル・フーコーフーコー・コレクション4 権力・監禁』ちくま学芸文庫 2006

アリストテレス『ニコマコス倫理学(下)』光文社古典新訳文庫 2016

フリードリヒ・ニーチェニーチェ全集8 悦ばしき知識』ちくま学芸文庫 1993

プラトンプラトン全集1 エウテュプロン/ソクラテスの弁明/クリトン/パイドン岩波書店 2005

プラトン『ソークラテースの弁明/クリトーン/パイドーン』新潮文庫 1968

 

灰羽連盟とグノーシス-クウにおける開示真理と単独者としての旅立ち-

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「すべてのものがロゴスによって生じた。そしてそれなくしては、無が生じた。ロゴスの内に命があった。生命は人間を照らす光であった。光は闇の中で輝いている。闇は光を理解しなかった(阻止できなかった)。」『ヨハネによる福音書』1:3-5


この頁はかつてトゥギャッターで提示した『灰羽連盟』におけるクウの描写についての考察を増補し、まとめ直したものです。まず、考察にあたって使われる術語についての説明を施しておきます。

①事実:感性的・感情的・論理形式的に認識される世界のありようのことと捉えてください。

②真理:世界の現象の論理的再構成に関する抽象的な真理命題のことと捉えてください。 私たちは世界を多数の「事実」で知り、「真理命題」の集合体の有機構造の把握形式で思考しているとします。私たちの思考は「真理命題」の有機構造と個々ばらばらな「事実命題」の集合を関係付けて、そこから新しい真理命題を演繹するという論理操作になっているとします。

③ロゴス:私たちの思考は以上の「真理命題」の有機構造と個々ばらばらな事実命題の集合を関係付け、そこから新しい真理命題を演繹するという論理操作になっているとし、このような論理思考を「ロゴス」と呼称することにします。

④開示真理:これはロゴスの演繹展開にあって、何かを契機として突然に「ずれ」が起こるとき、真理命題の構造世界が別の構造世界に切り替わる一瞬にあって、垣間見える「何か」を指します。この「何か」というのは、ロゴスの構造が別の構造に切り替わるとき、その隙間に瞬間に現れる、「「無」への気づき」のことです。これがグノーシス文書で多用される「グノーシス」と同義とします。「開示真理」=「グノーシス」=「無への気づき」はロゴスを前提としていますがロゴスではありませんし、ロゴス的認識でもありません。なぜならこれはロゴスの有機構造のズレ・裂け目に生じる「何か」だからです。

「無とは存在者の『無い』であり、従って存在者から経験される存在[への気付き]である。」(マルティン・ハイデガー『根拠の本質について』)

 

さて、本題に入ります。

私見では『灰羽連盟』の主要テーマは、(中途までは)「人は本来的に「孤独」であり、その立ち位置のまわりには無限の暗黒の深淵があって、人は孤独に生まれ孤独に消え去って行く」というものだったと思われます。この孤独と暗黒とは、自己がどこから来たのか、そしてどこへ行くのか分からないという闇です。本来的自己が分からないということです。

孤独と本来性の不在のなかで、ある日クウは、「ふと何かが分かって」光となって旅立ちます。クウの名の真名は「空(くう)」[=充満空虚]であったということが我々鑑賞者には見て取ることが出来ます。その名の関連からしてもですが、「空っぽ(欠乏状態)であったコップが充満した」のち、彼女はふっと消え去っていきました。これを私は「グノーシス」によるものに他ならないと考えます。ある日のふとした「無への気づき」である「開示真理」と、孤独の暗黒とは無関係ではありません。「グノーシス」とは、自己の中に自己の本来性の根拠を見出す事(本来的自己の認識)であり、人々の間にある無限の暗黒の深淵が実は既に乗り越えられていると自覚することに他なりません。このことは、劇中においては「空っぽであったコップに満ちていく水滴の一滴一滴がクウの人々との関係に関わるものでもある」ことがすっぽり当てはまっています。「開示真理」=「グノーシス」は、絶望の中に「光」を見いだすことであり、この光は、ロゴスの構造の裂け目にあって垣間見える「無」であって、ロゴスではありません。クウ本人においては、この「開示真理」が彼女に生じたことによって、人々の間にある暗黒の深淵の乗り越えが自覚された、つまり「全き人間」となったのです。『ヘルメス選集Ⅳ ヘルメスからタトへ-クラテール或いは一なる者-』によれば「認識(グノーシス)に与った者は、全き人間となった」とあります。

ヴァレンティヌス派(二世紀のキリスト教グノーシス主義の一派)において、グノーシスの対象は次のように要約されています。「私たちは誰であったか。私たちは何になったか。私たちはどこにいたか。私たちはどこへ投げ入れられたか。私たちはどこへ急いでいるのか。私たちは何によって救済されるのか。誕生とは何か。再生とは何か。私たちを自由にするのはこれらに関する認識である」(アレクサンドリアのクレメンス『テオドトス抜粋集』)。ここで言われていることは取り立てて「ヴァレンティノス派」にのみ当てはまるというわけではなく、他のグノーシス文書にもみられることです。ここに示されているのは、まず、生命が世界の中へ、光が闇の中へ、魂が肉体の中へ「投げ入れられている」ということです(このイメージは、灰羽たちの誕生の仕方においてまざまざと描かれていると思われます)。そしてこの「投げ入れられている」ということは、私たちに加えられた暴力だ、というのは私を問答無用に私が現在いる場所に置き、現在そうである私にするのだから、というのです。また、私が作ったわけでもなく、私が従うべき法の世界とは別の法を持つ世界に、私を見出すという受動性が示されています。そしてこの「投げ入れられている」というイメージは、そのような仕方で始められた実存の全体に、力動的なものという性質を付与しています。この性質はある目標ないし結末に向かって「急ぐ」、というものです。それはつまり、「グノーシス」を獲得したものは、帰結として、「この世」から「過ぎ去って行く者」ないし「旅立っていく者」となる、ということです。グノーシス文書的に言えば、それは「この世」から光の超越的世界であり安息の世界である「プレーローマ」(それは生まれる前の故郷でもある)に帰還する者となることであり、その実は「無」に還る者となることです。例としていくつか上げておきますが、『ヘルメス選集Ⅰ ヘルメス・トリスメギストスなるポイマンドレース』には「本来的自己を智解した者は至高神に還る。なぜならそれは一切の父が光と生命とから成り、人間は彼から生まれたからである。至高神と人間が同じものから成っていることを学ぶなら、自己を知解する者は再び生命に還るであろう」といった趣旨の会話が記述されています。またナグ・ハマディ文書の『真理の福音』にも「もし人に認識(グノーシス)があるなら、その人は上からの者である。もし彼が呼ばれるなら、彼は聞き、答え、彼を呼んでいる者へと向きを変え、彼のもとに昇っていく。そして、彼はどのようにして自分が呼ばれたかを知る。認識(グノーシス)を得て、彼は自分を呼んだ者の意志を行い、彼の意に添うことを欲し、安息を受ける。一人一人の名がその人に帰される。このようにして認識するであろう者は、自分が何処から来て、何処へ行くかを知る。彼は酔い痴れていて、酔いから覚めた者のように、自己を知るのである。彼はおのれに帰って、自分のものを整えたのである」とあります。

灰羽連盟』のクウにおいて生じた「開示真理」=「グノーシス」の獲得そのものは、作中の誰にも理解されないようなかたちで演出されているように思われます。クウはただ、先に述べた「空っぽであったコップが充満した」、「そのコップに満ちていく水滴の一滴一滴がクウの人々との関係に関わるものだ」ということだけがわかるまるで象徴語的なセリフを作中の人々に語るだけです。作中のキャラクターたちには、それが何のことかよくわかりません。普通、人が言葉を発するのは、他者に理解を求めてのこと(つまり人々の心と心の間の通い合わせようとすること)ですが、クウのこの発言の場合はむしろ理解されない、或いは理解されることすら求めていないような言葉の発せられ方をしていると思われます。クウこのような発言は、自己が無へと還り、消え去っていく孤独者(単独者)の発言です。彼女自身そういう自覚のもとに発言していると捉えられます。彼女がそうであるのは、先に述べたように、「開示真理」=「グノーシス」により、自己の中に自己の本来性の根拠を見出しており、人々の間にある無限の暗黒の深淵が実は既に乗り越えられていると自覚しているからです。同じようなことを、我々はイエス・キリストに見て取ることが出来ます。イエスは「人と人の間に神の王国がある」と教えました。その教えだけを見れば、「人と人の間に神の王国がある」というのは、「人の心と心の間に通い合いがある」ということになるでしょう。しかし、そのイエス自身はどうであったでしょうか。彼の言葉は極めて象徴語的です。彼は他者との間に無限の距離があり、他者との間に深淵がある孤独者でした。つまり、イエス自身は「人の心と心の間の通い合いがある」と言う意味で解する限りは「人と人の間に神の王国が成立している」とは到底言えない孤独者でした。イエスの数々の発言もまた、自己が無へと還り、滅び去っていく孤独者(単独者)の発言です。その発言はグノーシスの覚知者の、つまり既に自己の中に自己の本来性の根拠を見出し、人々の間にある無限の暗黒の深淵が実は既に乗り越えられていると自覚している者の発言にほかなりません。このような孤独なイエスという観点から見いだされるのは、「人の心と心の間に通い合いがある」という意味で解される「人と人の間に神の王国がある」という場合の「神の王国」が、実は本当の「神の王国」ではないということを裏書しています。つまり真の「神の王国」は、イエスのような、他者との間に無限の距離があり、他者との間に深淵があるが、その人自身は既にそれを乗り越えていることを自覚しているという孤独者にこそ宿っている、ということになります。クウにはまさに、この真の「神の王国」が宿っているのです。そしてこの神の王国は「この世のもの」ではない。

クウの行動がどのようなものであるかということについて周囲の灰羽たちならびに人々に理解されているのは、ただ灰羽たちの宿命の外観、つまり、灰羽たちがいつかどことなく生まれ落ち、そしてその灰羽たちにいつか「何か」が生じることによって、灰羽たちは独り光となって旅立っていくという宿命の外観だけです。しかし、どうしてそうなるのかは、グノーシスを獲得していない者たちには理解できないし、普段はそれを意識することもありません。通常の日常生活を営んでいることによってそれを覆い隠しているのです。グノーシスを獲得した者だけしかその宿命の本当の理由を理解できないのです。先ほど引用した『ヘルメス選集Ⅳ』の続きには、グノーシスを獲得した者たちとは対照的な者たちとしてそれをロギコイ(ロゴスだけの者)と言い、「ロギコイ(ロゴスだけの者)たちは叡智(グノーシスにあたる)を獲得しておらず、何のために、また何によって生まれたかを知らない」と語られています。周りの灰羽たちにはどうしてかわからないまま、クウは、クウのことを理解は出来ぬが気にかけている他の灰羽たちのことなども意に介しもせず、ただ独りになって、ふっと消え去っていきます。これによって初めてそのような灰羽の宿命を見た主人公ラッカはひどくショックを受けてしまったほどであり、他の灰羽たちも悲嘆にくれます。

作中のキャラクターたちだけでなく、『灰羽連盟』を鑑賞された方々には、このクウの描写が、それ以前の日常描写とはうってかわって極めて異様に、というかある種の不安を煽るような、強烈な「不気味さ」をもって描かれていると映らなかったでしょうか。少なくとも私にはそう演出されているように映りました。これを私なりに整理すると、作中の灰羽たちだけにとどまらず、私たち鑑賞者も含めて、「この世」において日常生活を営むロギコイである者たち、つまり未だグノーシスを獲得しておらず、本来的自己がわからないままであることに心地よさを覚えている者たちである「世人」=「闇の住人」には理解のできない、「光」=「グノーシス」を獲得した者がとる「非-世人」的な行動をクウがとり、それをロギコイたちに、否が応でもまざまざと焼き付けたからではないか、と思われるのです。「不気味」を意味するドイツ語のunheimlichは、ハイデガーによれば語源的には「我が家にあらざる」の意味であるそうですが、「家」を「この世」の象徴語と解するグノーシス文書的にこの意味を捉えるなら、まさにその「不気味さ」は、「この世にあらざる」ことが我々の眼にも強烈に焼き付くが故に生じると言えるのではないでしょうか。『灰羽連盟』のこの演出方法が、私には非常に見事であった上、非常に考えさせられることが多かったと思うわけです。

しかしながら、私見では『灰羽連盟』のこの「人は本来的に「孤独」であり、その立ち位置のまわりには無限の暗黒の深淵があって、人は孤独に生まれ孤独に消え去って行く」を核たるテーマとして描き出されていくストーリーは、クウの場合においてのみ透徹して描き出されていたと思われます。ストーリーの終盤において描き出されるラッカとレキの交流、ないし最後に光となって去っていくレキのストーリーは、その真名の開示という描写に関しては確かに面白いのですが、このテーマの限りではないでしょう。クウの場合は、ある日のふとした気づきによる欠乏状態の充満、孤独の自我にあって光が「神の王国」であり、全ての人は「神の王国」によって安息があるという展望、これがクウの描写には不気味なほどに強烈に見出されていたのですが、レキのストーリーの場合は、その深層心理の描写なにか同じ不気味な描写があっても、クウのそれとは違い、むしろラッカとの心の交流がなければ救いがありませんでした。それが悪いストーリーだと結論づけているわけではありませんが、この点に何かテーマ的にズレを感じてしまっている、というのが拭いきれない、ということを述べて締めくくりたいと思います。